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2010年6月11日 (金)

なぜ高齢社会になったのか:目的論的解釈

youtubeに加藤周一さんの東大での講演がアップされているのは以前から知っていたが、7つにも分けられて収録されているので開く気がしなかったのだが、先日ようやく全編を通して見た。

その結果、上記の問題の答を得る結果となった。

すなわち

①大半の人にとって、組織や親に支配されず「自由」を確保できる人生上の時期は、大学4年間と、退職後の老人期に限られている。

②政治情勢は憲法改悪に向かい、社会の閉塞感はいよいよ強まっている。それを突破するため「自由」な人の必要性がかってなく増している。

③それに応えられるのは老人と学生しかいない。そのために、老人が増え、高齢社会が進んだのである。

逆に言えば、老人が増えれば増えるほど、勇気ある発言が増え、社会の合理的な発展の可能性も高くなるということである。また、老人と学生の連帯も自由のためにきわめて有効である。

これを信じるかどうかは読む人の勝手だが、話題をもっと常識的な線に戻せば、老人の多様性には日々驚かされる毎日を私は送っている。

高齢になればなるほど外見の多様性はなくなって誰も同じに見えてくる。しかし、個人の経験の差は広がり、内的世界の多様性は高齢になるほど大きくなるのである。

すなわち、老人とあい対するにあたって、視覚からの直感は間違い易くなる。価値ある言葉を聞き取る耳を養う必要が、より若い世代にはある。

さて、youtubeには、加藤さんを対象にした記録映画「しかし、それだけではない」の予告編もアップされている。調べてみるとDVDがもう少ししたら発売されるらしいので、私の属する組織で購入する手配はした。

映画は「加藤周一 幽霊と語る」というのが副題で、幽霊とは、戦死した友人たちのことであるようだが、私が最近「加藤さんは多く書いた架空体験記の人たちと本当に話していたのではないか」とこのブログに書いたことが、さほど間違っていなかったことも予想させる。

映画の予告編の背景に流される音楽は英語版の「死んだ男の残したものは」(武満徹作曲、谷川俊太郎作詞)である。その詞を聴き取ろうとしながら、ひげもそらないままの年老いた加藤さんの画像を眺めていると涙が止まらなくなる。

この歌のCDも買いたい。

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