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2010年6月 6日 (日)

マッシーこと池田正行先生「公演」会を開いた

若い医師には「マッシー池田」のほうが通りが良い、池田正行・長崎大学医学部教授は、総合診療、神経内科、医薬品効果判定などの多様な領域で抜群の才能を見せている異色の医師である。 彼のブログも最もよく読まれる医療ブログの一つに数えられる。→http://square.umin.ac.jp/massie-tmd/ 山口県保険医協会地域医療部では、6月5日・6日、それぞれ山口市・宇部市で池田先生の「公演」をお願いした。 一昨年は、名古屋第二日赤の野口善令先生、昨年は藤田保健衛生大学の山中克郎先生を招いた企画の続きである。 このお二人が、診断推論に「重大性」と「頻度」の2軸を導入して、どう系統的にそれぞれの軸上にある疾患を想起して、合理的・効率的に鑑別診断していくかを詳しく論じたのに対して、池田先生は、それはやや生物医学的なコンテンツに傾きすぎるという批判も内包して別の軸を提唱した。 それは物語による診断の軸であり、また医師―患者関係の軸であり、さらに患者の置かれた社会という軸だった。それらの軸の大半は「問診」という領域の中にある。身体診察の一部も、「非言語的問診」という位置づけが可能だ。 だから池田先生はただ問診が大切だと言ったのではなかった。問診の中でそれぞれの軸を意識するようにと言ったのである。 そして、物語の軸のキーワードは、神経内科では「患者さんの日常生活の中で何が困るか」である。それを具体的な一軒の家を思い浮かべて、玄関で、居間で、台所で、トイレで、風呂で、寝室で、それぞれ何が困るかをききだすように勧めた。疾患の知識がなくてもそれを正確に記録することができ、専門家にそれを読ませれば診断はつくのだ。たとえば、パーキンソン病の初期の人が頭を洗う時、健全な側の腕を反対側の頭に伸ばして洗わなければならないので、結構困るのである。 患者―医師関係の軸は、両者の「共同」に尽きるが、まず医師のほうに「患者に教えてもらう、助けてもらう」という自覚がぜひとも必要である。そして、患者は医師に経験を伝えることで、実は大変な社会的貢献をしていることを自覚できるとよい。「病気をして、医師にいろんなことを教えることは自分の人生の減価償却(医師を通じて社会の中に内部留保を積み上げること)だ」と考えることができれば、患者―医師関係も良くなるはずである。 もう一つ、社会的な軸も無視しない。生物医学的な必要、不必要で物事を決めてはいけない。CTをとってもらわなければ納得できない患者の娘がいれば、検査の限界性を説明しながらとればいいのである。それによって患者を取り巻く重要な情報が得られるかもしれない。 こうして、診断推論の学習に新しい次元が追加された。 ただし診療にすぐに役立つ知識を求めてこられた先生には若干不満が残ったかもしれない。池田先生の頭の中には神経内科の名人技のコツが充満しているのは分かりきっているからなおさらのことだ。 しかし、「公演」の始まりのところで池田先生は言った。 ある時の師の振舞いはただの偶然でメッセージとしての情報は0かもしれない。しかし、それによって弟子の中に何かが触発されたとすれば、教育は立派に成立しているのだ。「伝えたいのは、コンテンツでなく考えるマナーです」。 時間が経てば経つほどよい公演だったと思えてくる。  *診断とは、病名を当てるゲームでなく、どういう治療をするかという方向性の指示をえることなのである

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