幸徳秋水、石川啄木メモ
①前記事の「A LETTER FROM PRISON」のなかで、幸徳秋水は革命は起こるべき時に起こるもので、人為的に起こすことはできないと主張しつつ、ではなぜ革命運動が必要かという問題を立てている。革命運動がないと、一つの時代が終わる時、合理的な次の時代を用意できないというのが彼の答えで、一つの例として、徳川幕府瓦解時に勤王運動が半ば無自覚ながら一つの革命運動として次の時代を用意したことをあげている。そして、それによって日本は列強の植民地となることを免れたとも言っている。
ここを読んで、私自身の中に一つの疑問がわいてくる。
なぜ日本は欧米列強の植民地とならなかったのか。それは明治維新政府の功績なのか?
「日本近現代史を読む」新日本出版社、2010の19ページを開くと、この問題は1960年代に盛んに論じられた問題であるらしい。遠山茂樹は、当時の欧米列強には植民地化の意志がなかったと主張し、井上 清は幸徳秋水とほぼ同意見で遠山を強く批判した。まだ決着が着いていないようである。
②旧友A君に昨年もらった関川夏央「二葉亭四迷の明治四十一年」文春文庫、2003年の第9章には、明治41年の啄木と菅野須賀子の記述があり、特に菅野須賀子が警察の理不尽で暴力的な取調べと容貌への侮蔑によって天皇制への復讐心を抱く場面が描かれている。
③「わが病の/ その因るところ深く且つ遠きを思ふ。/目をとじて思ふ。」
は明治44年(1911年)6月ごろの作品であり、5月に前記事の「A LETTER FROM PRISON」を書いた直後のものである。
この歌は、健康の社会的決定要因の直感的認識の日本における典型例として記憶すべきものと思える。
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