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2010年5月19日 (水)

ベトナム戦争と後期高齢者医療制度の共通点―日本医師会平成21年度医療政策シンポジウムから―副題が変だ

今日届いた日本医師会雑誌の付録に「平成21年度 医療政策シンポジウム 国のあり方を考える 平時の安全保障としての医療」というのがあった。今年の2月5日に開かれた企画の記録らしい。

とても面白い読み物だったので午後の診療時間の合間を見て全部読んだ。

なかでも特別講演の宇沢弘文先生の話はきわめて興味深いものだったので、コピーして仲間に配ることにした。

とりわけ目を引いたのは、ベトナム戦争当時のマクナマラ国防長官の主たる仕事がKill-Ratioの追求、すなわち、爆弾1発で何人ベトコンを殺せるか、ベトコンを最も低費用でなるべくたくさん殺すにはどうすればよいかということだったという件である。

マクナマラはこれをニューヨークタイムスにすっぱ抜かれて神経衰弱になり、カナダで講演しているときに錯乱して「ベトナム戦争は最悪の戦争だ」と口走り、時のジョンソン大統領に解任された、宇沢先生は語っている。

(2009年に死んだマクナマラが最後には核廃絶論者になっていたのはよく知られているが、国防長官解任当時の錯乱は簡単に調べたところではよくわからなかった。)

それはそれとして、マクナマラの次官としてKill-Ratioの向上を実際に担っていたのがエントホーフェンという経済学者であったが、彼はイギリスのサッチャーに招かれて、イギリスの医療制度の根幹であるNHSの解体を任せられる。

その時の彼の命題がDeath-Ratio だったわけである。すなわち、人間一人を最も安く死なせる制度を彼は追求した。

これと同じ考え方で展開されたのが、小泉ー竹中ラインによる後期高齢者医療制度である。

高齢者一人をどれだけ安く死なせることができるかどうかを主眼に構想された医療制度が後期高齢者医療制度に他ならない。

結局はベトコン殺しに狂奔した米軍兵士の役目を日本の医師にさせようというものである。

そのほか、宇沢先生とローマ教皇ヨハネ・パウロ2世との交流の話、また、自民党参議院議員だった武見敬三氏が、アマルティア・センの「人間の安全保障」に共感しているという話、また獄中作家だった佐藤優が、今の民主党が、湯浅誠や雨宮処凛なども取り込みながらも実は自由にものの言えない不気味な政党になって、ファシズムに強く傾斜しているとみている点など興味深い話が尽きないパンフレットである。

ただし、副題の「平時の安全保障としての医療」というのは全くもっていただけない。これには、「有事の安全保障としての軍事力、あるいは自衛隊」というのが対になっている。センの「人間の安全保障」論は軍事など前提にしていない。「真の安全保障としての医療」と言いなおすべきである。このあたりが医師会の認識の歪みというべきものであろう。

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コメント

日本のODAの担当者として、主には東アジア、中南米を中心に30年ほど働いています。このメールも南米の小
国から発信しています。開発援助というものは、日本国の政策として行うものですが、国内の公共政策と同じように、相手国の政策を尊重しつつも、日本の公共領域
の経験、技術(リソース)により相手国の公共領域を強化するものでなくてはなりません。宇沢先生の社会的共通資本のお考えが基本です。途上国の市場経済に任せるのではなく、市場に任せられない医療や教育、社会インフラの拡充こそが基本です。この点で、近年は相手国の開発政策を尊重しつつも、その問題点を指摘しつつ、民(市場原理)によりやせ細った途上国の「公」の拡充と官の政策能力の向上が大切です。

この場合、途上国(国民国家)同士の中で歴史的に助け合ってきた南南協力、域内協力という既存の公共ネットワークがあります。例えば、アンデス地域の環境保全、中米の感染症対策というものは公共ネットワークとして、当該国の「官」の自主性を尊重しながら日本が援助することにより、初めて開発の持続性が確保されます。相手国の官を援助し、官と官とを結びつけ、指導力を発揮してもらい、域内の「公」と「公」を支えあうのです。

アマルティア・センさんの「人間の安全保障」論は、このような視点を持っていますが、同時に「人間の安全保障」という概念は、新自由主義、グローバル経済ときわめて親和性が強い概念でもあります。人間の安全保障は、本来は途上国、途上国同士の助け合い、先進国の援助で成り立つのですが、先進国がこの概念を使うとき、しばしば先進国の判断で相手国の国民国家を無視して、開発援助や「平和構築」を実施するという理屈に結びつきやすいのです。アフリカやアフガニスタンなどで、脆弱な国家、破綻国家という概念が横行しますが、だからと言って国民国家を無視して良いわけではありません。特に、ODAでもNGOでも、警備会社(傭兵集団)とセットとなり、行動することが当たり前となると、人間の安全保障と言う名の暴力の導入にもなりかねません。すでに、アフリカの一部や中東、アフガニスタンで経験したことです。

「南北問題」の解決の基本は、開発途上地域同士の中で、お互いの国民国家が開発のテーマを共有し、支えあうことから始まります。日本は、そういうネットワークを介在し、援助することです。主語の曖昧な「人間の安全保障」概念を使わなくとも、「非同盟中立」以来の思想の流れがあるのです。

投稿: 高井 正夫 | 2010年5月23日 (日) 16時32分

高井正夫様

激務の中、拙ない文章に眼を留めていただいたうえ、貴重なコメントをありがとうございました。

「アマルティア・センさんの「人間の安全保障」論は、このような視点を持っていますが、同時に「人間の安全保障」という概念は、新自由主義、グローバル経済ときわめて親和性が強い概念でもあります」とされている部分はハッとしました。

「なぜ貧困な人は病気になるのか」という問題を追求している、医学の一分科である社会疫学を武器に新自由主義と闘っているマイケル・マーモットさんたち、イギリス・ヨーロッパの人たちの哲学的なバックボーンにセンさんがなっていることにずっと注目していたので、上のような見方はしていなかったからです。

しかし、おっしゃる通り、「非同盟中立」という60年間ずっと発展してきた運動がある中で、誰が誰に対して約束するのか不明瞭な「人間の安全保障」の提唱がなぜなされるのか、また軍事と対になりやすい「安全保障」という用語を用いるのかというのか、ということを考えると、確かに不思議です。
実際に、日本医師会の中では「平時の安全保障が医療、有事の安全保障が自衛隊」、だから、医療費を増やせという俗事に入りやすい言い方が普及しているのですが、それも歪曲ではなく、正しい受け止めなのかもしれません。

グローバル大企業に欠かせない開発途上国の治安維持に、「平時はODA、有事には国連軍=米軍」という考え方があるのであれば、これは日本医師会内の流行語と見事に照応していると思えます。

今後とも、宜しくご教示お願いします。

投稿: 野田浩夫 | 2010年5月24日 (月) 11時20分

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