志位さんの訪米報告・・・日本の独占資本主義が帝国主義として復活・自立しなかった理由
今日のしんぶん赤旗で、志位さんが日本共産党の委員長として初めて米国に行き、米国政府とも会談してきた経過を話している。
その話の中で、2004年の共産党の綱領改定に関わって、志位さんは、20世紀初めには独占資本主義段階に達すれば帝国主義国になるのが普通だったが、第2次大戦以降はそうした機械的思考が通用しなくなったことについて触れている。
戦後に独占資本主義が復活した日本が、すでに帝国主義国として自立あるいは自立過程にあるのか、自立とはほど遠くアメリカに従属しているかで直面する革命の段階が違うという論争になり、人々は非難しあったり憎しみあったりした。
日本は帝国主義として自立しつつあり直面する革命は社会主義革命だと主張した人々は、反対の人々から、アメリカ帝国主義との闘いから逃げるためにそのような主張を作り上げているとされたのだった。その人たちは日本共産党を攻撃することに躍起になり、跳ね上がったテロ行為にも走った。
しかし、この問題は、歴史的にはもう結論が出ている。日本は帝国主義国としては自立しなかったし、これからも自立することはないだろう。
その理由は志位さんの話にも出てくる。なにより第2次大戦後の植民地独立の波の中で新たな帝国主義国を作り上げることはまずできることではなかったのである。
また、アメリカがこれほど強大な帝国主義国としての地位を拡大しているときにもう一つの帝国主義国は存在できなかったのである。
それらのことは戦争で疲弊したヨーロッパの旧帝国主義国にも共通している。
独占資本主義国であることと帝国主義国であることはイコールではなくなったのは、世界情勢の変化の結果だった。
今から思えば、直面している革命が、ブルジョワ革命か社会主義革命かで人々が争うなどということも、無駄なエネルギー消費であったとしか思えない。双方とも、一国の歴史は一国内の内的要因で進み、革命は一瞬のうちに完成してしまう程度のものに思っていたわけだろう。
ただし、グローバル化した独占資本が海外権益を守るために帝国主義的な軍事力に固執していることは確かである。沖縄の米軍基地をこのままにしておきたいのは米軍だけではなく、日本の支配層や自衛隊もそうである。むしろこちらが主役かもしれない。そういう意味では、独占資本と帝国主義の関係は、1対1ではない一つのアメリカ帝国主義対多数の従属独占資本主義という形に生まれ変わって続いているともいえる。
アメリカが唯一の帝国主義国としてふるまうことも永遠ではなく、むしろ短期間のことに過ぎないだろう。軍事力で他国を抑圧することを許さない枠組みを今のうちに完成させておかなければならない。
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