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2010年5月 3日 (月)

GWに考えたこと  ①鶴見俊輔「期待と回想 語り下ろし伝」朝日文」庫、2008(初刊は晶文社1997年) ②井上ひさし脚本「組曲虐殺]

5月1日:

①昨年に続いて今年も山口民医連の医報を発行することができる運びとなった。昨年と同じく職員が外部に発表したものを一冊にまとめて記録しておくという作成方針だったが、昨年の数倍のボリュームにもなった。

その校正版が今日届いたので、それを見ながら、頼まれていた巻頭言を書くことにした。

悪い癖で、巻頭言さえ随筆風になってしまう。

ちょうど、しばらく前から取りかかっていた鶴見俊輔「期待と回想 語り下ろし伝」朝日文庫、2008(初刊は晶文社1997年)を読み終えたところだったので、ついそのことに触れざるをえない。

もちろん、医報と関連がないわけではない。

ある連想でつながっているのは間違いないのである。

そもそもこの本は、小田 実、加藤周一、井上ひさしを失った九条の会のメンバーの残る6人の一人になった鶴見俊輔その人の貴重さを感じて手に取った。

一つの動機として、戦前の日本共産党の指導者 福本和夫が実はドイツのマルクス主義の一潮流であるフランクフルト学派の創設に関わっていたという話が詳しく書いてあると聞いたことにもよる。

また、全日本民医連元会長の高柳先生が「少女の涙」(この題は間違っているが)というエッセーのなかで引用している、心打たれる文章の作者であり、福岡に在住していた、右翼とも左翼ともつかぬユニークな活動家・杉山龍丸にある程度詳しく触れているのは新しい発見だった。

しかし、読み終えて医報の巻頭言と連想がつながったのは、鶴見が紹介したアメリカのプラグマティズムの一つの特徴としての「マチガイ主義」のことだった。それは、本文より、巻末の解説で強調されていることではあったのだが。

マチガイ主義を簡単に言えば

「絶対的な確かさや、絶対的な普遍性は私たちの経験的知識が到達しえないところにある。

私たちはマチガイを何度も重ねながらマチガイの度合いの少ない方向に向かって進む。マチガイこそ私たちの向上のための最も良い機会である。

したがって、私たちは後になってマチガイが容易に発見できるように仮説をたて行動し考えなければならない。」

ということだが、これは、医療・介護従事者としても、社会保障運動の活動家としても、さらには一人の生活者としても、それぞれの対場で、覚えておいて意味のあることだろう。

昨今、家庭医療学で強調される「反省的実践家としての医師像」も結局は同じことを言っているに違いない。

というより、反省的実践家という概念自体が、アメリカ流のプラグマティズムの潮流の中から生まれたものなのだろう。

さて、私が言いたかったのは、まことにささやかで、学術的価値もほとんどあるまいと思える私たちの医報も、そこにに対外的に発言した幾許かの文章を掲載することが、後に私たちのマチガイを修正するための二つとはない資料を残すことになるということだった。

経験したこと、考えたことを共有し、マチガイを一歩ずつ修正していく手段として、拙い医報が存在しているのである。

そういうことを巻頭言に書いた。

②夜は、NHKーBSーHVで4月9日に亡くなった井上ひさしさんの遺作ともいうべき「組曲虐殺」を見た。

彼は、小林多喜二を主人公に据えた、この戯曲を書くことができたので、自分の人生がここで終わってもよい、と考えていたらしい。

「党生活者」の笠原と重ねて見られ、きっと冷たい誤解も多い伊藤ふじ子が温かい人間としておそらく正当に描かれ、田口たきとの複雑な交流もあったというストーリーになっている点が、井上さんらしく印象的だった。

放送の終わった深夜、井上ひさしんが本当にいなくなったのだという思いがこみあげて来て、TVの前でしばらく動けないでいた。

長時間の鑑賞で、朝からの腰痛が強くなって容易に立ち上がれなかったせいである。

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