柄谷行人「日本精神分析」講談社学術文庫、2007
4月に岡山に行ったとき、ホテルの近くにある巨大な本屋さんで買った。品ぞろえもよく、売り場が広いのに客があまりに少ない。ふと見ると来月閉店と書いてある。岡山という土地柄が悪いのか、アマゾンのためか。
柄谷氏の本は全部そうなのだろうが、どこに連れて行かれるのか分からない感じがずっと続く中で叙述が進む。
結局、格別必然性を持って選ばれたわけではない大正期の短編小説三つを話題にして、彼の持論が展開されたのだと分かるのは最後である。
記憶に残ったことをいくつか書いておこう。
①226ページ 「率直にいうと、アソシエーショニズムによる、資本=ネーション=ステートの揚棄は、近いうちに実現されるどころか何世紀もかかる運動です。・・・・漸進的に実現するほかはない」
59ページにも同様のことが書かれている。
*これは不破さんや私も常々感じていることである。あすにでも世界同時革命が起こって、あさってにでも社会主義の世界が出来上がるなどというのは最も滑稽な妄想にすぎない。日本の封建革命が完成するのには400年かかった。西欧の市民革命は開始から200年以上経てなお進行中であるし、日本の市民革命は、開始から150年経ていまもごく低いレベルで低迷している。
②143ページ 「戸坂潤が小林秀雄を攻撃したのは革命的なふりをしたがる左翼の虚勢にすぎません。しかも、最も理解してくれるものに八つ当たりしているだけです。戸坂は優秀な哲学者でしたが、このような愚かさのため、戦争が終わる直前に獄死する目にあったというべきでしょう。」
*愚かだったから獄死した、というのは本当に暴論だ。彼を獄死させたのは天皇制絶対主義の国家権力だったので、彼の愚かさや、極左的な跳ね上がりによるのではない。こういう暴論に出会うと、この人には人間の生き死にへの感慨がそもそもないのではないかと思えてくる。また、戸坂潤を愚かと切って捨てるのは、柄谷氏が、心情的には労農派の系譜の中にあるということの表れであるかもしれない。
** より大きな問題は140ページにある。戦前の日本共産党が君主制打倒の目標を掲げたことを、革命前ロシアと戦前日本の同一視するという間違った認識だといい、「日本共産党が天皇制打倒を唱え始めて一気に大衆的支持を失った」とするのは、事実にももとるだろうし、考え方としても全く変だ。
天皇制が絶対君主制から日本型ファシズム(柄谷によれば国家+資本がネーションを暴力的に従える様式)の中心となり、さらにそのもとで侵略戦争が開始されていたとき、その打倒を唱えない革命党派はありえないのである。
また、戦前の共産党が「せっかく実現された普通選挙を活用せず、ブルジョワ的欺瞞と攻撃してだめにしてしまった」というのも全くの誤りである。殺された山本宣治は衆議院議員だったし、小林多喜二の小説「東具知安行」は労農党から立候補した山本懸三(後に野坂参三の密告でスターリンに殺された)の選挙運動を主題としたものである。このような表現が柄谷氏によってなされるのは柄谷氏の最近の主張に意義を見出し注目するものとして残念なところである。ただ、32年テーゼが社会ファシズム論の誤りの中にあったのは周知のことである。
③58ページ 「社会民主主義は(三つの交換原理の)資本制=ネーション=ステートの三位一体構造を・・・端的に示しているだけです。・・・現在、先進国の政治状況を見ると、名称はどうであれ、たんに、社会民主主義の左派と右派があるだけです。・・・人々が世界中どこでも政党政治にうんざりしているのは、そのためです。」
そのあと、柄谷氏はアソシエーションという別の交換様式があり、これが広がったとき、資本制=ネーション=ステートの三位一体構造が基盤を失い、消滅するだろう、という。
*しかし、これは私たちの思い描く社会変革とそれほど違うものではない。医療生活協同組合も含まれる第3セクタ-が、次第に社会的影響力を拡大し、国家(ステート)や資本を規制し、国民意識(ネーション)を変えて行くことが、民主主義革命の完成や社会主義革命に道を開く「ルールある経済社会」への道だと思っている。それには100年単位の時間がかかるだろうと思いながら、医療生活協同組合の質と量を向上させようと思っているのである。柄谷氏の主張は、私たちにとって格別違和感があるものではなく、実は同じことを言っているという気がする。
しかし、柄谷氏はこれを、社会民主主義左派と呼んで、何か境界を作っている気がする。
④紹介されている大正期の小説の中では、谷崎潤一郎「小さな王国」が面白い。貧しい生まれながら人心掌握にたけた小学校の転校生が、しだいに学級を支配し、生活に困窮した教師も配下に従えてしまうという話である。
これに似た小説に柏原兵三「長い道」があり、それを原作に藤子フジオは「少年時代」という漫画を描いた。それを原作に同名の映画が作られ、「夏薊」とう造語が印象的な井上陽水の主題歌がヒットした。そして、これを全く模倣した「汚れた英雄」という韓国映画もあって、それはそれなりに面白い。
子どもの世界の政治は大人の世界の政治よりストレートでそれなりに陰惨だが、大人にとってその思い出はいつまでも切実で、それが文芸作品となったとき、夢中にされやすい。古傷が痛むというとだろう。
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