仮説演繹法による診断推論の源流である鶴見俊輔「マチガイ主義」と上田耕一郎・・・上田耕一郎・不破哲三「マルクス主義と現代イデオロギー」大月書店、1963
鶴見俊輔が「マチガイ主義」として日本に紹介したアメリカ・プラグマティズムは社会の多方面に定着した。
その結果として産業界に確立したPDCA(プラン―ドゥ―チェック―アクト)サイクルは、医療界にも伝わって広く使われている。
診断におけるPDCAは「仮説演繹法に基づく診断推論」と呼ばれ、科学的診断方法として精密化されつつある。仮説の立て方が、恣意的にならない工夫が今は盛んである(たとえば野口善令「誰も教えてくれなかった診断学」)。
治療におけるPDCAはEBM(根拠に基づいた治療)という別名で呼ばれ、もはやだれも疑わない手法である。(EBMは治療だけでなく、予防、・診断・治療など医療の全範囲に及ぶが、便宜上こう書いておく)
PDCAの中のC(チェック)を重視して、マチガイを探し、それを前進の足掛かりにするという態度に注目して、医師のありようを「省察的実践家」と表現することも行われている。
これらはすべて鶴見俊輔の「マチガイ主義」の普及の成果と呼んでよいだろう。
ところで、鶴見の「マチガイ主義」を古くに論じた文献として上田耕一郎・不破哲三「マルクス主義と現代イデオロギー」大月書店、1963 がある。そのⅢ章「プラグマチズム変質の限界―『思想の科学』の示すもの」である。
もう古本屋でしか入手できない本なので、ここで取り上げるにはあまり適切ではないと思うが、相当に面白いので、短く触れておきたい。
上田さんにとっての問題は、プラグマチズムが、マルクス主義をも多数存在する選択しうる仮説、あるいはプランの一つとしてしまうところにある。プラグマチズムは、この仮説を立てるところが主観的になりやすい弱点が避けられない。
(上記の診断推論でも、どうすればその弱点を補い科学的にするかというところに工夫が凝らされているのである)
しかし、上田さんによると、ソ連や中国という社会主義世界が出現した現代、マルクス主義はすでに一つの仮説ではなくなり、「人類の実践によって検証済みの唯一の体系的科学」となっているので、この点でプラグマチズムとマルクス主義は対立せざるをえない。
今となっては、ソ連を実証の根拠とする限り、上田さんが間違っているのは今では明らかである。何かが検証済みの真理である、と見るのはやはり、時代の制約があり、限界があると思わなければならない。
プラグマチズムは鶴見俊輔によれば「お茶坊主」、今の私たちにとっては「有用なツール」としてマルクス主義の前進にも役立つ。これを否定すると、マルクス主義も科学から宗教になってしまう。
50年前の本をもちだして、上田が誤り、鶴見が正しかったということにどれほどの意味もないが、一点、私の目が引き付けられてしばらく動かなかった箇所がある。
「私はどちらかといえば鶴見氏の文章の愛好者の一人だった」(上巻 P177)。
共産党の指導者でありながら国民的人気の高かった上田氏の飾らない率直さが、こんなところにものぞいていた。
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