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2010年4月 8日 (木)

自分のブログを読み返す・・・「労安センター」に感じていた違和感が見事に表現されている

全国的には「働くもののいのちと健康を守る全国センター」というものがあり、各県に地方センターが作られつつある。私の住む山口県では、全国で6番目に地方センターが設立され、私も創立に関わった。そのとき、センターの名前がなぜか「労安センター」ということに決まったことに私は強い違和感を持ち続けている。確かにその活動は積極的意義があることばかりだが、何か自分のしたいこととは違う、思いきっていってみれば、労働組合や弁護士の皆さんに「便利のいい医者として安易に使われているだけ」という気持ちが拭えないできたのである。

今日、自分の古いブログ記事を見ていて、それに対する答えがここに書いてあると思えるものがあったので再録しておく。2008年12月の記事である:

『2008年6月8日、派遣労働者は秋葉原で通行人を無差別に殺傷した。彼は日研総業という大手の派遣会社に雇われ、トヨタ系列の関東自動車工業に、2008年4月から1年間の契約で派遣されていたのだが、わずか2ヵ月後に、当月6月末の打ち切りを通告されて「キレ」た。労働市場での長い漂流生活の孤独感が『臨界』に達したのだった。

その後、この事件はさまざまに論じられたが、秋葉原の繁華街で通行人を無差別に殺傷した犯人が果たしてKひとりだとして済ましていいのかどうかが怪しくなった。

真犯人は他にいて、たとえば「派遣切りは派遣会社がやっていることでメーカーの会長である私には関係ない」などと発言している人物であることが、未曾有の金融危機で社会全体を覆われてきた今になってみれば、誰の目にも明らかである。

そして、年間3万人を超える自殺者、そのうち少なくとも1万人は経済的理由によるのだが、それは正しくは自殺などではなく、同じ犯人による殺人事件だと考えるほうが妥当である。

大げさなことを言っているのではない。

ニューヨークのハーレム地区の黒人の多くが40歳にならずに死ぬのが普通だとしたら、彼らは殺されているとしか言いようがないではないか。

誰が誰を殺しているのか?それを見据えながら、一人一人が殺されないような対策も緊急に必要だ。簡単に言えば、これが私の感想である。

湯浅氏は、社会的告発のみに傾きがちな労働運動と、個人のケアのみに埋没しそうな福祉運動とを融合させて、新しい運動を作っていきたいと言っている が、それは民医連がずっと追求してきたことでもある。

しかし、自分たちもまさにそういうことをしてきたが、何か足りないもの、いまの現実から掬い上げ損ねてるものがあったと、湯浅氏たちから民医連が気付かせられてもいるのである。

旧来の諸運動の否定ではなく、それに依拠し励ましながら、この時点で必要な別の視点、別の枠組みを提示することが、運動の発展には絶えず必要である。

それを彼らはやろうとしている。そして、そういう視点を獲得した人にしか気付くことのできない分野があり、その仕事を鮮やかにこなして見せることで、彼らは私たちに運動の新しい発展方向を示唆してくれているのである。』

そうなのだ、私が感じてきた違和感は、「社会的告発の材料探しの姿勢の突出」に対してなのだ。加えて、そうして見つかったケースにせっかちに医師としての意見を準備しろという姿勢。

それに対して私は「個人のケアから出発して、その個人が陥った苦境の源にじっくりたどり着き、改善案を示したい」いってみれば、現在、社会疫学がやろうとしているものを望んでいたのである。

必要なのは、あいことなる二つの姿勢の融合である。

それが私の仕事なのだと改めて思った。

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