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2010年4月20日 (火)

健康格差発生の現場を見ることはできるのか

たとえば、国民健康保険証の不交付による手遅れ事例をいくら多く集めてみても、それは、社会経済格差で健康が破壊された後の最終過程を見ていることになる。

その時点での私たち医療人の位置付けは、崖の上から転がり落ちた人を待っている救急車に等しい。もちろん、この時期でもなすべきことは多くあり、結果の悲惨さを幾分緩和することはできるが、健康破壊の原因の対策とは直接つながらない。

よく言われるように、国民健康保険証の不交付がなくなるように運動していけば、おのずから社会の不公平も次第になくなる、ということにはならないと思う。

確かに、運動が着手することはそういうところからかもしれないが、展望はもっと全体を見据えていなければならない。そうでなければ運動の方向があいまいになる。

もっと直接に健康の社会的格差が生まれてくる現場を、イメージでいうと深海底の熱湯噴出のように、眼のあたりにすることが必要なのではないだろうか。

朝食を食べて来ない日が続く小学生や、上司の叱声を浴びて立ちすくむ新入職員の姿は、理念的には、健康格差の発生している現場である。ただし、医療従事者には最も見えにくいところだ。

観察できる現場はもっと具体的なところにある。ただし、それにも若干の想像力は必要である。

北九州のT医師が指摘していたのは新型インフルエンザワクチンの摂取を勧められて、その価格を5000円と聞いて断る人たちが続出したことである。新型インフルエンザが実際とは違ってもっと激烈だったら、その死亡者数は、見事に所得格差に照応する格差を見せただろう。


髄膜炎予防のHibワクチンが接種可能となったが、全額自費で合計3万円もかかるため接種を見送る親たちも多いはずだ。
子宮頸癌予防のHPVワクチンを諦めさせられる女子中学生も同じだ。

Hibによる髄膜炎は絶対数が少ないが、長い目で見ると親の所得別に応じた死亡格差が認められるようになるだろう。
子宮頸癌は、いまでも社会経済格差が認められる癌のように思えるが、それがもっとはっきりしてくるだろう。このまま公費助成が限定された自治体でしか行われないままだと、貧しい子ども時代を送った女性だけが子宮頸癌に罹患する時代が必ず来る。

これらが健康の社会格差が生まれているのを直接に観察できる、いわば地表に露出した断層のような現場である。

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