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2010年4月14日 (水)

社会疫学の中での「労働」の取り扱い方

2003年にWHO欧州事務局は「健康の社会的決定要因 確かな事実(ソリッド・ファクツ)の探求」第2版というパンフレットを刊行した。(以下「ソリッド・ファクト」)日本語版は以下で読むことができる。 http://www.tmd.ac.jp/med/hlth/whocc/pdf/solidfacts2nd.pdf  

多くの人はこのパンフレットで「ソリッド・ファクツ」という言葉や「健康の社会的決定要因」の概念を知ったのではないだろうか。

ついで2005年にWHOに設置された「健康の社会的決定要因委員会」が2008年に最終報告を発表した。「Closing the gap in a generation」と題されているものである。(以下「最終報告」)これにはまだ日本語版はないが、英語版を以下のサイトで読むことができる。 http://www.who.int/social_determinants/thecommission/finalreport/en/index.html

さらに2010年2月には、上記二つの報告を作成する中心人物だったマイケル・マーモットがイギリス保健省から依頼されて、「2010年以降のイングランドにおける健康の不平等に対する戦略的考察 マーモット・レビュー」を発表した。「Fair Society、Healthy Lives」と題されたものである。これも日本語訳はまだないが英語版は以下で読むことができる。(以下「マーモット・レビュー」) http://www.marmot-review.org.uk/

この3点が健康の社会的決定要因について知る上に重要な2000年代の代表的文献と思えたので、この冬に後者2点のエグゼクティブ・サマリー(「忙しい役員用サマリー」というのが本来の意味だが転じて「長い文書の要旨」)の日本語訳を試みた。現在、私の周囲の人たちに頼んで正確さについて点検してもらっているところである。

そこで、この3点の文献のなかで、労働や雇用について、どのような研究結果が、確かな事実として例示されているのかを見てみようというのが、今回のテーマである。

まず、ソリッド・ファクトでは、2つの総論的要因と8つの各論的な健康の社会的決定要因が選ばれている。総論では職業上の階層によって平均余命が違うという衝撃的な図が示されている。じっと眺めていると怖さが伝わってくる図である。

そして各論の5番目が「労働」、6番目が「失業」である。「5.労働」の章では「職場でのストレスは疾病のリスクを高める。仕事に対してコントロールできる人ほど、健康状態が良好である」とまとめてある。掲げられている図は「仕事上のコントロール度(自己申告)と冠動脈疾患発症の関係(男女対象)」である。年齢、性別、研究期間の長さ、努力/報酬のアンバランス、雇用のされ方、冠動脈疾患のリスクファクター、ネガティブな気質の有無などすべてを補正したあとにおいて、仕事の自己コントロール度を自己申告で高、中、低に分けると、それぞれの冠動脈発症のリスクは1:2.1:2.3と明らかな勾配を見せている。仕事上の自由と決定権が低いと冠動脈疾患だけでなく、腰痛や病気による欠勤、そのほかの心血管系疾患の増加を引き起こすことが証明されているのである。

「6.失業」の章では「雇用の安定は健康、福祉、仕事の満足度を高める。失業率が高まるほど病気にかかりやすくなり、早死をもたらす。」とまとめられている。図示されているのは「就労の安定度と健康の関係」である。安定雇用、不安定雇用、失業の3類型に対して、慢性疾患で悩むリスクは100:125:160 、メンタルヘルス障害罹患は100:250:220である。不安定雇用や失業が、いかに慢性ストレスの要因になり、健康障害を生じているかがわかる。不安定雇用は失業よりも悪いことがあることが分かるのである。

続いて「最終報告」は、日常生活条件中に存在する健康の社会的決定要因と、それを形成するより深い社会構造のなかの決定要因という視点を提示しているのだが、労働者の健康問題は前者のなかの「公正な雇用と人間らしい労働」という章でふれられている。ここで、図示されているのはスペインの筋肉労働者において、雇用契約別で見たメンタルヘルス障害者の割合(%)である。永久契約、固定的一時的契約、非固定的一時的契約、契約なしの4群に労働者を分けたとき男性では5:5.5:17.5:26%、女性では13:8.5:28:32.5%である。ここでも不安定な労働契約が労働者にもたらす悲惨な結果が極めて明瞭に表現されている。

最後に「マーモット・レビュー」では、先進国イギリスにおける2010年以降の健康の不平等に対する戦略として6つの政策目標が掲げられているのだが、労働者の健康は、3番目に「政策目標C すべての人のための公正な雇用と良好な労働を創造しよう」に詳しく取り上げられている。ここで例示されているのは、本当に驚くべき事実である。

1980年代初期、サッチャー政権のもとで起こった劇的な失業の増加は、その当時失業を経験した人たちのその後10年間の死亡率を著しく高めたのである。しかも、それは社会階層の勾配に見事に従っていた。図の左側は1981年当時雇用されていた人の死亡率が社会階層の勾配に従っている、すなわち社会階層の低い人ほど死亡しやすいということを示しているのだが、図の右側、1981年当時失業していた人は、もちろん階層の勾配に従った死亡率の勾配が認められるのだが、全階層にわたって、失業を経験しなかった人に比べて平均1.5倍の死亡率を示しているのである。

ここでは3つの文献について図示されたものだけに限って記述してみたが、労働者のいのちと健康を守る私たちの活動も、おそらく日本も例外とはせずに認められる上記のような事実を、日本でのエビデンスに立脚した確かなものとして示し、「すべての人のための公正な雇用と良好な労働を創造」する政策要求の基礎に据えるべき時が来ていると思える。日々の労働者との接触の中から、そのようなエビデンスを生んでいきたいものである。

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