WHO 健康の社会的決定要因委員会最終報告 エグゼクティブ・サマリー 仮訳#3 第2章
第2章 権限、資金、資源の不公正な分配に対決していこう
日常生活の中の不公正は、より深い社会構造と過程の中で形成される。不公正は体系的であり、分配の不公平や、権限・富・その他の必要な社会的資源へのアクセスの不公平に対して、それを許してしまったり促進してしまったりする社会規範や政策、実践によって生み出されるのである。
「すべての政策、システム、施策に健康の公平を」
≪何をなすべきか≫
政治の最も高い位置に健康と健康の公平のための行動責任を置くべきである、そして全ての政策にわたってそれに対する首尾一貫した配慮を貫かなければならない。
・健康と健康の公平を政府全体の共通課題にしよう ―国家の長の支持を受けながら、健康の公平を統治能力を測る基準として確立することによって。
・すべての政策や施策について健康と健康の公平に与える影響を測定しよう ―全ての統治行為の首尾一貫性を目指して築きながら。
保健省の政策と施策諸機能を横断して社会的決定要因の枠組みを採用しよう、そして政府全体の社会的決定要因アプローチを支える幹事・世話役としての役割を強化しよう。
・健康セクターはそれ自体健康の社会的決定要因と健康の公平に基づく行動を鼓舞する援助と構造を築き始める種の好位置にいる。このことは、WHOからの支援を受けながらも、保健省大臣の強いリーダーシップを必要とする。
(解説)
政治や経済のすべての側面が健康と健康の公平への影響力を持っている―財政、教育、居住、雇用、交通、そして健康と、これだけで六つの側面(省)の名前があげられる。
全政治を貫いての首尾一貫した行動が健康の公平の改善にとって必須である。
≪行動のためのエビデンス≫
政府の政策の違いが、その性質によって、健康と健康の公平を改善もすれば悪化もさせる。一例として都市計画を取り上げると、それが近隣へのスプロール現象を起こして、購入可能な住宅もほとんどなくなり、地域のアメニティも乏しく、整然さのない利用しにくい公共交通状態のままだったら、全ての人のための健康を推進しているとは言えないのである。良い公共政策というものは当面においても未来においても健康上の利益をもたらすものなのである。
政策の首尾一貫性は決定的である ―これは政府の内の異なる省庁の政策が、健康と健康の公平を産み出すために、互いに対立しあうのでなく相補うべきだということを意味している。例を挙げれば、貿易政策において、それが規制のない生産、貿易、脂肪と糖分に富んだ食料の消費をどんどん進ませれば、果実と野菜の生産は損害を受け、健康政策には矛盾する。健康政策は高脂肪、高糖分の食品をなるべく減らし、果実と野菜消費を増やすことを勧めているのである。健康のためのセクター間共同行動 ―健康セクターと非健康セクター間で調整調和させられた政策と行動― こそ、これを達成する鍵となる戦略である。
政府を超えて、市民社会やボランティアや民間セクターを巻き込んでいくことは健康の公平に至るうえで極めて重要なステップである。政策の過程の
なかでののコミュニティの関わり、社会参加の統合の拡大が健康の公平課題でのフェアな意思決定を確実にする。そして、健康は異なるセクターや関係者にとって象徴的な存在となる ―そこでこそ地域社会自ら健康プランをデザインするのであり(ダル・エス・サラーム、タンザニア連合共和国の健康都市プログラム)、あるいはウォーキングやサイクリングをしやすい場所をデザインすることに地方政府を含めて全コミュニティを巻き込むのである(デザインによる健康、オーストラリア・ビクトリア州)
諸セクターを横断して、健康と健康の公平を共通の価値観にしていくことは、全地球的に必要なことの一つというだけではなくて、政治的に挑戦すべき戦略である。
図:カナダ諸州において強制的なヘルメット着用法の有無別で自転車関連の頭部他の外傷の頻度を検討
頭部外傷はヘルメット法的強制州が1994年には10万人当たり18人だったのが、1998年には10人に低下、法制化しなかった州では18人から13人に低下。それ以外の外傷でもヘルメット強制着用は効果を見せている。
「公正な融資」
≪何をなすべきか≫
健康の社会的決定要因に基づく行動のための公的融資を強化しよう。
・累進所得課税に対する国の能力を築き、新しい国内的また全地球的な公的融資機構の可能性を評価しよう。
健康の公平のための国際的融資を増やそう、そして健康の社会的決定要因行動の枠組みを通じて増加した融資を調整しよう。
・GDPの0.7%まで全地球的援助を増やそうという公約によって現在進行中の参画に栄誉を与えよう、そして多国間の負債救済計画を拡大しよう;貧困軽減戦略企画のような現存する枠組みのなかで、首尾一貫した社会的決定要因の焦点になることを発展させることによって、健康の公平活動を強化しよう。
健康の社会的決定要因に対する行動のため、政府の資源を公正に割り当てよう。
・健康の社会的決定要因に基づく政府横断的行動に融資し、また地理的地域間や社会的グループ間に公正に融資を割り当てる機構を確立しよう。
(解説)
健康の社会的決定要因を横断しての行動に資金を与えるための公的融資は福祉や健康の公平にとって基礎的なものである。
《行動のためのエビデンス》
経済発展段階のいかんを問わず、いろんな国々が、健康の社会的決定要因を横断しての行動に資金を与える公的融資を増やしていること ―子どもの発達や教育から、生活と労働の諸条件を経てヘルスケアまで― は福祉や健康の公平にとって基礎的なものである。富んだ国々の社会経済的発展は、公的融資を受けたインフラストラクチャーと進歩的で全般的な公的サービスによって強力に支えられているというエビデンスがある。公的融資については、生活に欠かせない資材やサービスを公平に供給することにおいて市場が大失敗している状況を受けて、公的セクターの強力なリーダーシップと適正な公的支出の必要が強調される。このことはひるがえって言えば累進所得課税の強調である ―穏健なレベルの再分配でも貧困の減少に対して、経済成長単独の効果に比べて大きな効果があることについてはエビデンスがある。そして、貧困な国々においてはより大きな国際的融資援助が必要である。
低所得の国々は弱小な税徴収機関や直接税の仕組みしか持たず、労働人口の大半は民間で働いていることが多い。その国々では多くの場合政府の収入を貿易関税などの間接税に頼っている。関税引き下げを求める富んだ国と貧しい国間での経済的合意は、所得の低い国の利用できる国内歳入を減少させやすい。それに代わる融資の流れが確立される以前の話である。累進所得課税の容量を拡大することは、公的な融資の重要な源泉であり、今後のどんな関税切り下げ合意においても必要な前提条件である。同時に、タックスヘブン地域の融資センター利用と闘って非倫理的国内税制回避=脱税を減らしてしまう方法は少なくとも新税を用いる方法に比べて開発のための源泉になりうるだろう。グローバリゼーションが国々の間での相互依存を強めるにしたがって、課税に対する全地球的な議論も強まっていく。
援助は重要である。援助が経済成長を促進しうるし、実際に促進もする、また直接的に健康の改善に貢献しうるというエビデンスはあるが、委員会の見解では、援助の第一の価値は、社会的発展への通常の努力のなかでの理にかなった資源の再分配の仕組みとしてというものである。しかし援助の総量はぞっとするほど少ない。絶対量で(一般的にも、健康面に限っても)少ない;与える側の国ぐにの富から見た相対量でも少な;1969年に提供国でGDP(国内総生産)の約0.7%レベルの援助と決めた約束と比べても少ない;ミレニアム開発目標(MDGs)に対して影響を維持できるうえで必要な量に対しても相対的に少ない。一段づつの増加が求められる。援助をふやすこととは別に、委員会はより広く深い負債免除を熱望する。
援助の質もまた改善されなければならない ―パリ合意に従って― 提供国間のよりよい協調と、受け入れ国の開発プランへのより強い連帯に焦点をあてながらである。提供国は、単一の多国間組織を通じて援助の大半を渡すよう配慮すべきであるし、受け入れ国側の全国的、地方的レベルでの貧困軽減計画は、健康の社会的要因枠組みを採用することによって、首尾一貫した分野横断的な融資というものを創造できるように恵まれるだろう。このような枠組みは受け入れ国が、援助がどのように割り当てられどんな効果があったかを証明する上での説明責任を改善するのを助けるだろう。とくに受け入れ側の政府は、利用できる公的融資を公平に各地域や人々のグループにわたって割り当てるための彼らの能力と説明責任を強化しなければならない。
図
大きくなっているギャップ・・・この40年間、先進国はほとんど開発途上国への援助を増やしていない!!
1960-2000年 提供国の一人当たりの援助額と一人当たりの富とを比べると
一人当たりのGNPは1960年を100(11303米ドル)とすると2002年には260(28500米ドル)、
一方、一人当たりODAは1960年100(61ドル)に対して110(67米ドル)に過ぎない。
「市場の責任」
≪何をなすべきか≫
国内的な、また国際的な経済的合意と政策作成における健康と健康の公平の影響について考慮することを制度化しよう。
・すべての国際的または国内的経済合意の健康影響アセスメントができるよう制度化し技術的能力を高めよう。
・国内的、国際的な経済政策交渉における健康問題関係者の発言力を強めよう
健康についての基本的サービス(水や衛生施設など)の整備、そして健康に多大な影響のある商品とサービス(タバコ、アルコール、食品)の規制
という国家の基本的役割を強めよう。
(解説)
市場は新しい技術や商品やサービス、改善された生活水準という形で健康の役に立つ。しかし市場は、経済的不平等、資源枯渇、環境汚染、不健康な労働、危険で不健康な商品の流通という形で健康にとってネガティブな状態も作り出す。
≪行動のためのエビデンス≫
健康は交換可能な商品ではない。それは権利の課題であり、公的セクターの義務である。健康のための資源は公平で普遍的でなければならない。そこには3つの関連した問題がある。第一に、教育や医療・保健(ヘルスケア)といった中枢部の「社会財」の商品化は健康の不公平を作りだすことは経験が教えているということである。このような中枢をなす社会財は、市場に投げだされるのでなく、公的セクターで管理されるべきである。第二に健康を害したり、健康の不公平を導くような生産物、活動、諸状態を効果的に国家的・国際的な統制下におくことには公的セクターのリーダーシップが必要だということである。これらのことはともに第三のことを意味する。すなわち、すべての政策作成における有能で正規の健康影響アセスメントと市場規制は国内的・国際的に制度化されるべきだということである。
委員会は特定の財やサービスを基礎的な人間的・社会的ニーズと見ている ―たとえば清潔な水や医療保健制度を利用できることである。これらの財やサービスは支払い能力に関係なくどこでも利用できなければならない。この場合は、だから、適切な供給と利用を保障するの公的セクターであって、市場ではないということである。
健康と福祉のための中核的な財やサービス―たとえば水・医療保健・人間らしい労働条件―の提供を確実にすることと、健康を傷害する商品(たとえばタバコや酒)の流通規制という双方の観点から、公的セクターのリーダーシップは強固なものである必要がある。労働の状態や作業条件もまた―貧富に関わらず多くの国で―しばしば不公平で、搾取的で、不健康で危険なものである。人口全体の健康と健康的な経済活動に対する良質な労働の中核的な重要性は公的セクターのリーダーシップを必要とする。そのリーダーシップは全地球的な労働基準をだんだんと満たしていくことを確実にし、一方で中小企業の成長を助けることを確実にするのである。全地球的な管理機構―タバコ規制のための枠組み会議など―は、市場への統合が拡張し健康傷害性の商品の流通と入手が加速されている現状のなかで緊急性を求められている。加工食品とタバコは全地球的、地域的、全国的な規制を強めるべきものの二つの主要な対象である。
最近の数十年において、グローバル化のもとで市場への統合は増大した。このことは労働、雇用、作業条件を含む新しい生産状況の中でも明らかだった。それは国際的・全地球的な経済合意の範囲を拡大しながら、財やサービスの商品化を加速しながら進んだ―それらのうちいくつかは疑いもなく健康に有益だが、いくつかは有害であった― 。委員会はこの警告が、新しい全地球的な・地域的な・貿易と投資双方の経済的政策誓約の尊重に参加している諸国のあいだで採用されることを強く促すものである。
このような誓約を作成する前に、現存する健康のための合意枠組みのインパクト、健康の社会的決定要因、そして健康の公平というものを理解することこそが肝心かなめなのである。さらに健康影響アセスメントは、もし健康と健康の公平にとって不都合な影響があるのなら、国際的合意に調印した国々に誓約を修正することを許す弾力性がスタート時点で確立されているべきだということを繰り返し示唆している。そのさい、修正を開始する上で透明性のある基準(クライテリア)が必要である。
公的セクターのリーダーシップはその他の関係者(=市民組織と民間セクター)の責任や能力と置き換えられるものではない。民間セクターの関係者は影響力があるし、全地球的な健康の公平に対して多くのことをなす力がある。しかし、今日まで、私企業の社会的責任のもとになされたイニシャティブ(発議・先導)が本当に有効だったかどうかのエビデンスは限定されたものでしかない。企業の社会的責任は先々価値があるものではあるが、それを言うにはエビデンスが必要である。企業の説明責任は、民間セクターと公的セクターの信頼性と協働性の伴った関係を築くためのより強力な基礎になりうるものである。
図
ヨハネスブルグの水の値段
現存の補助金制度で40KL/月を超えれば料金が同じなので富裕層に有利。彼は水を使い放題にしている。これに対して理想的な料金表は40KL/月までは安く、それをを超えると急に料金が増えるもので、貧困層への供給に補助金をつけ、大量の水使用を妨げるものである。
「男女の公平」
≪何をなすべきか≫
男女の不公平は不公正である。それはよい効果を生まず効率も悪くする。男女の公平を支えることにより、政府、援助提供者、国際機関、市民社会は数百万、数千万、何億の少女、女性、その家族の生活を改善することができる。
社会構造の男女差別による歪みに迫ろうー法律とその実施において、組織が動き介入が計画される仕方において、一つの国の経済効果が測定される仕方において。
・男女の公平を促進し、性別を理由にした差別を不法なものとする法制度を創造し実施しよう。
・政府の中心的な省庁と国際組織とともに男女公平のための部局を創造し予算を与えることにより、男女問題の主流を強化しよう。
・家事労働、人の世話、無償労働の経済的貢献を国家会計に含めよう。
教育や技能の格差をなくし、女性の経済的参加を支援する政策や施策を開発し融資しよう。
・正式のかつ職業に役立つ教育や訓練に投資しよう、法律によって公平な賃金支払いを保障しよう、すべてのレベルでの雇用の機会均等を確実にしよう、家族―互助的政策を立ち上げよう。
性と生殖の健康にへのサービスと施策への投資を増やし、すべての人の保護と権利を築こう。
(解説)
一世代のうちに健康格差を減少させることは、少女や女性 ―人類の約半分を占める― の生活が改善され、男女の不公平が解決に向かって努力されて初めて可能になる。女性のエンパワーメントは健康の公正な分配を達成するうえでの鍵である。
《行動のためのエビデンス》
男女の不公平は全ての社会に蔓延している。政治権力・資源・資格・基準や価値、そして組織が構成され施策が行なわれるやり方における男女差別による歪みは、何百万、何千万、何億という少女や女性の健康にダメージを与えている。女性の社会的地位は少年少女の健康や生存にも関連がある。男女の不公平は健康に影響を与える。他の経路もあるが、とくに差別的な食事パターン、女性に対する暴力、意思決定権限の欠如、不公正な労働・余暇・自分の生活を改善する可能性における区別を通じてそれは現れる。
男女の不公平は社会的に作り出されるものだからこそ、変えることができるものである。女性の地位は何世紀もののなかの最後の世紀をかけて劇的に改善されたが、しかし進歩は不均等で、多くのなすべき挑戦がまだ残っている。女性は男性と同等の仕事をしても男性より稼ぎが少ない。少女や女性は教育や雇用の機会で遅れた状況にある。多くの国で母親の死亡率や有病率が高いし、妊娠・出産時の健康サービスは、一国内でも国々の間の比較でも、巨大な不公平が続いている。男女の不公平の世代間効果は緊急にもっともっと強力に行動しなければならない事柄である。今、男女の公平と、女性の地位向上の改善のために行動することは、この一世代で健康格差を解消することにとって決定的に重要である。
名目上の賃金において女性は男性より有意に低い
サハラ以南のアフリカ4カ国では70%、ラテンアメリカ8カ国では73%、過渡期の10カ国では76%、工業国22カ国では80%。東南アジア6カ国では80% 中東と北アフリカ4か国では81% 。
「政治的権限付与(ポリティカル・エンパワーメント)ー受容と発言権」
《何をなすべきか》
社会がどう動いていくかについて、とくに健康の公平に与える影響との関連での意思決定には社会の全てのグループに公正な代表・表現を通じての.権限を与えよう。そして政策決定のための社会的参加の枠組みを創造し維持しよう。
・人権を守る政治的・法的システムを強化しよう、社会の辺縁に追いやられているグループ、特に先住民の法的地位を確立し、その人たちの必要と要求を支援しよう。
・健康権の必須な特徴をなすものとして、健康の意思決定において個人とコミュニティの公正な代表・表現と参加を保障しよう。
健康の公平に影響を与える政治的・社会的権利を促進し現実化するやするやりかたで市民社会を組織し行動することを可能にしよう。
(解説)
自分が生きている社会に仲間として受け入れられることは、社会的福利や公平な健康を下支えする物質的、心理社会的、政治的な権利付与にとって中核的なことである。
《行動のためのエビデンス》
到達可能な最も高度の健康水準に至るのに必要な状態への権利は普遍的なものである。これらの権利が破られるというリスク
は、強固な構造的不公平の結果である。
社会的不公平は様々な社会的カテゴリーの交差 ―階級、教育、性別、民族、障害、地理― によって明らかになる。それは単に違いを意味するのでなく、ヒエラルヒー(階層性)を意味し、違う人々やコミュニティの、富や力や名誉もおける深い不公平を反映している。すでに正当な権利を取り上げられている人々は健康面に関してもさらに恵まれない―経済的、社会的、政治的、文化的関係に参加できる自由を持つことは、本源的な価値を持っている。受け入れること、世話すること、制御することはそれぞれ社会的発展・健康・福利にとって重要である。そして参加を制限することは人間の潜在能力の剥奪に帰着する。すなわち、ある一塊のもの、たとえば教育・雇用・生物医学と工業技術上の進歩の享受といったことにおける不公平の中に置いて行かれるということである。
社会的不公平を減らそうとするどんな真剣な努力も、社会と世界中のあちこちのなかでの力の分配を変えようとし,個人やグループが自分たちのニーズや関心を強く効果的に表明できるように力をつけさせようとし、不公正や社会資源の分配が不当に傾斜づけに挑戦し変えるためのいろんなことをする。その社会的資源とは健康のためにすべての人が市民として要求と権利を有する条件なのである。
力関係を変えるということは個人・家庭・コミュニティというミクロレベルから経済・社会・政治上の関係者や組織の間での構造的関係というマクロレベル間の様々なレベルで起こりうる。社会的グループが力をつけ、政治に関係した課題設定と意思決定においてい意志表明をすることは権利の包括的な一認識する上で決定的に重要であり、一般的人口中で生活必需品と社会の公正な分配を確固としたものにする一方で、下から上への草の根的なアプローチを通じての行動のための能力向上もまた必須である。社会のなかで最も恵まれない人々が出会う不正と闘うこと、これらの人々を組織することは地方の人々のリーダーシップを築くことになる。それは権限向上につながる。それは人々に自分たちの人生と未来を自らコントロールするより崇高な感覚を与えるだろう。
コミュニティまたは市民社会の健康不公平に対する行動は、権利を包括的な1セットとして保障する国の責任と分離できないし、生活必需品と社会財をいろんな人々のグループの間で公正に分配することを確実にすることである。トップダウンとボトムアップの両方のアプローチが等しく不可欠である。
図 韓国において最終学歴別に男女の死亡率を検討 1993-1997
男女とも学歴が短くなるにつれて死亡率が高くなる。大学卒を1とすると
高校卒男1.7 女1.2 中学卒男3.2 女1.9 小学校卒男5.1 女3.3.
実に大学卒と小学卒では死亡率が5倍以上も違う(男の場合)。女性は若干、学歴の影響が少なく現れる。
「良好な全地球的な政治を」
≪何をなすべきか≫
健康の公平を全世界の発展のゴールとしよう、そして健康の社会的決定要因枠組みを発展のための多面的な行動を強化するために取り入れよう。
・国連は、WHOや経済社会理事会を通じて全世界的発展の核となるゴールとして健康の公平を採用し、健康の決定要因指標枠組みを前進を測定するために用いるべきだ。
・国連は主要な健康の社会決定要因について多面的なワーキング・グループを設置すべきである ―第一に、早期の子どもの発達、男女の公平、雇用及び労働条件、医療保健システム、そして住民参加を尊ぶ政治。
健康の社会的決定要因に対する全地球的行動におけるWHOのリーダーシップを強化しよう。それはWHO内の各局と国家の施策を横断して健康の社会的決定要因を指導的な原則として規定することである。
(解説)世界中の人々の健康と生存のチャンスの劇的な違いは国々の力と繁栄のアンバランスを反映している。グローバリゼーションの疑いもない利益は激しく不平等に分散して存在している。
≪行動のためのエビデンス≫
第2次大戦後の時代には激しい成長があった。しかし世界の富と知識の成長は政界の健康の公平の増加に直結しなかった。、より貧しい国々をOECD(経済協力開発機構)へと結びつける集中よりも、グローバリゼーション後期(1980年以降)では勝ち組(winner)と負け組(loser)が世界中の国々の中に現れ、とくにサハラ以南のアフリカと旧ソ連諸国のいくつかでは平均寿命の停滞と逆転の警告が鳴った。1960年から1980年の間の全地球的経済成長と健康公平の進歩は引き続く時期(1980-2005年)において完全に失速し、そのとき世界経済政策は社会セクターへの支出と社会発展を激しく打ちのめした。グローバリゼーションの第二の時期(1980年以降)に関連して世界は、融資の危機、増え続ける紛争、強制・あるいは自由意思の移住が相当に増加し、定期的な発生するのを見たのでもあった。
グローバリゼーションのもと、共通の関心と相互依存的な未来という認識によって、国際的な共同体は、多くの国、すなわち富む国も貧しい国も一緒に一つの声に合わせていくことのできる多面的なシステムに再び頼ることが避けられなくなっている。全地球的に健康の公平へ首尾一貫して注目していくことが可能なのだということは、健康の公正を発展課題の心臓部におき、さらにその意思決定の心臓部に純粋な平等をおきながらの全地球的な政治システムというものを通じて初めて本当になる。
図 平均寿命に対する死亡率による分散効果の傾向1950-2000
1950年6.5年・・・2000年5.8年
通常、経済が成長すれば死亡率は低下し、国々の間の平均寿命の差、すなわち分散の程度は小さくなっていくことが北押される。しかし、実際には、経済成長にもかかわらず、国々の間での死亡率の差は収斂せず、50年同じ程度の差が続いている。すなわち、経済成長によって消えるはずの格差がなんら縮小されていないことになる。
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