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2010年3月31日 (水)

民医連が民医連であるために 続き≪毎日がゼロ・ベース≫

民医連が持続可能な集団であるためには、「民医連だからこそできた」という成功体験を若い人たちの中に現実に生み出していくことが必須だということを前回書いた。

それが一番大切だということを前提に、執行部の姿勢についてふと思いついたことを二つ記録しておきたい。

①理事会は選挙で選ばれてその合法性は保証されているのだが、本来その合法性は一回の選挙で与えられるわけでなく、実は「毎日の信任投票」を重ねて確認されるべきものだと思わなければならない。

確かに病院の外に拡がる地域では人権を守りぬく医療機関として信頼と人気を得ているとしても、病院の中の雇用、管理の関係の出発点には信任や信頼はなく、ただ偶然に取り結んだ関係だけが存在するのである。

そういう意味では、執行部や管理部であるということについて、クーデターで偶然に政権が転がり込んだ一集団、あるいは国民の誤解から政権をつかんでしまった民主党政権だという程度に自分たちのことを考えておいたほうが良い。

「毎日がゼロ・ベース」という立場で、誠意を尽くして民医連がどんなものかもよくは知らない仲間や地域住民の心情を獲得し、彼らを巻き込んで彼らを感動させるような成果を挙げつづけなければ、多くの人の支持を得て民医連を持続可能な組織にはすることはできないだろう。

②いろんな社会活動は、全地球的な課題(アジェンダ)と地域の住民を結びつける結節点の役割を自分が務めていることの表現なのだ、と自らを常に鼓舞しておくことが必要である。

署名やカンパをお願いするときは特にそうで、機械的にそれらをこなす職業的運動家になってはいけない。

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