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2010年2月15日 (月)

健康格差はなぜ不正義なのか・・・イチロー・カワチ(≒ロールズ)、マーモット(≒セン)、近藤克則それぞれの説明の仕方

①不健康は、正義の基礎となる「機会の平等」が損なわれていることの結果ということができるため(修正「ロールズ正義論」=イチロー・カワチ) 

○子どものころの境遇により決定される不健康は、まさに「機会」の平等の欠如の結果としかいえない。

○非修正の「ロールズ正義論」によろうとすれば、健康格差が最貧層に集中するところに注目して、<正義論の第2原則の格差原理「最も困難な人に有利な格差のみが許容される」に反するから不正義だ>、と展開するのだが、「最も困難な人」だけを対象にするのでは、《不健康は社会勾配に応じて生じる》という観察にも反するため修正が必要となったものである。

②不健康は、潜在能力の欠如という意味で、正義の基礎の平等の欠如を意味するから。または健康自体が社会の正義と平等の指標になるものだから(セン)

○健康に生きていく力は、社会に出て行こうとする若者に平等に保障されなければならない能力である。この力が保障されているかどうか自体が、社会正義の指標または尺度の一つである。

*センと修正ロールズは極めて近接する。

③不健康は、憲法25条に保障された健康権の侵害そのものだから(近藤克則)

○これは、きわめて日本的な説明となっており、日本で闘う私たちには有効な主張である。ただし、ここでは憲法25条が保障しているものが最低限の生存でなく、到達しうる最高の健康だという、積極的な読み換えが必要である。

こうして、不健康を不正義であると確定することができ、さらに明確な因果経路で社会格差と健康格差を結びつけることができれば、社会格差自体を不正義だと断定することができる。

その点、健康格差をもたらすような社会格差が不正義で、それとは別に許される格差がある、とする近藤の立場(朝日新書「『健康格差社会』を生き抜く」2009)には若干違和感を覚える。日本社会のなかで論争していく上では有利な論立てかもしれないが、このままでは社会格差の前で立ち止まることになるだろう。

イチロー・カワチ、マイケル・マーモット、センは、そういう区別はせずに社会格差自体と格闘しようとしているのが明らかだ。

「ルールある経済社会」論もイチロー・カワチやマーモット、センと同じ地点に立つものである。

しかし、ウイルヒョウもエンゲルスも、そしてチリのアジェンデも、健康格差の発見から出発して社会格差の不正義を論じるに至っただけでなく、そこを超えて、社会格差が生じる原因をこそ発見し解決しようとしたのである。

彼らこそ私たちの先達というべき存在である。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

 健康格差についての近藤克則さんの見解については、大変共感できるものだと思っていましたが、最近、東洋経済新報社から出た「平等社会」が、いわゆる所得格差がなぜ問題なのかについて、極めて説得力のある内容でした。以下は、この論点をベースに、私の組織で発行しているmonthly ISOというニュースに掲載した内容です。参考までに送らせていただきます。

 新聞やテレビでは毎日のように幼児虐待事件の報道が続いています。また、秋葉原での無差別殺人事件や、広島の自動車工場で解雇された職員が車を暴走させて死傷者が出るといったニュースに、胸が詰まるような思いをされている方も多いのではないでしょうか。いったい何故、このような悲惨な事件が相次ぐのでしょうか。
 最近の社会疫学の研究成果として、健康・社会問題インデックス(人への信頼、平均余命、乳幼児死亡率、子どもの学力、殺人事件、収監率等)は、その国の豊かさではなくて所得格差の度合いと強い相関を持つことが発表されています。もちろん格差の大きい社会ほどこれらの指標は悪化します。
 格差社会という言葉が使われはじめて数年がたちますが、幼児虐待や無差別殺人など、耳をふさぎ、目を覆いたくなるような事件の続発も、ここに真の原因を見いだすことができるようです。
 ちなみに日本は現在も、平均余命は男女合計では世界一の座にあります。しかしそれは経済的な豊かさでもなければ、医療水準の高さでもなく、第二次世界大戦中から戦後にかけて約40年あまり、所得格差の少ない時代が続いたことが原因であるとされています。
 ただ、政府が昨年初めて公表した貧困率は、メキシコ、トルコ、アメリカに次ぐ世界で4番目の高さでした。つまりこの国はすでに、世界でも希な格差の大きな国になっていたのです。世界一の長寿国家の座から遠からず滑り落ちるであろうこと、ただ、その時期がどれほどのタイムラグで生じるのかは分からないとういうことです。
 かつて「格差があって何故悪い」と言った首相がいましたが、所得格差の拡大は社会全体に不幸をもたらす、あってはならないものであることが、社会疫学の研究成果によって最終的に証明されました。

投稿: 福島 哲 | 2010年9月 7日 (火) 15時35分

 健康格差についての近藤克則さんの見解については、大変共感できるものだと思っていましたが、最近、東洋経済新報社から出た「平等社会」が、いわゆる所得格差がなぜ問題なのかについて、極めて説得力のある内容でした。以下は、この論点をベースに、私の組織で発行しているmonthly ISOというニュースに掲載した内容です。参考までに送らせていただきます。

 新聞やテレビでは毎日のように幼児虐待事件の報道が続いています。また、秋葉原での無差別殺人事件や、広島の自動車工場で解雇された職員が車を暴走させて死傷者が出るといったニュースに、胸が詰まるような思いをされている方も多いのではないでしょうか。いったい何故、このような悲惨な事件が相次ぐのでしょうか。
 最近の社会疫学の研究成果として、健康・社会問題インデックス(人への信頼、平均余命、乳幼児死亡率、子どもの学力、殺人事件、収監率等)は、その国の豊かさではなくて所得格差の度合いと強い相関を持つことが発表されています。もちろん格差の大きい社会ほどこれらの指標は悪化します。
 格差社会という言葉が使われはじめて数年がたちますが、幼児虐待や無差別殺人など、耳をふさぎ、目を覆いたくなるような事件の続発も、ここに真の原因を見いだすことができるようです。
 ちなみに日本は現在も、平均余命は男女合計では世界一の座にあります。しかしそれは経済的な豊かさでもなければ、医療水準の高さでもなく、第二次世界大戦中から戦後にかけて約40年あまり、所得格差の少ない時代が続いたことが原因であるとされています。
 ただ、政府が昨年初めて公表した貧困率は、メキシコ、トルコ、アメリカに次ぐ世界で4番目の高さでした。つまりこの国はすでに、世界でも希な格差の大きな国になっていたのです。世界一の長寿国家の座から遠からず滑り落ちるであろうこと、ただ、その時期がどれほどのタイムラグで生じるのかは分からないとういうことです。
 かつて「格差があって何故悪い」と言った首相がいましたが、所得格差の拡大は社会全体に不幸をもたらす、あってはならないものであることが、社会疫学の研究成果によって最終的に証明されました。

投稿: 福島 哲 | 2010年9月 7日 (火) 15時35分

福島さん コメントありがとうございました。

医療運動にとって社会疫学の位置づけは、健康の構造の解剖学・病理学にあたるものなので、社会主義運動にとっての「資本論」に相当するものではないかと思っています。

社会疫学による科学的実証を基礎に、次にそれが正義か不正義かを論じる倫理学、そしてどう健康格差を解消していくかという医療政策論が、課題となっていきます。

東洋経済新報社から出た「平等社会」は読んでみます。

投稿: 野田浩夫 | 2010年9月 7日 (火) 16時32分

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