大学での講義の準備:「地域の医療課題とその対策」
2月の初めに、医学部医学科の3年生に特別講義をするので、ここ数日その準備に追われた。
テーマは「地域の医療課題とその対策」というもので、なんとも茫漠としている。人が健康を失って病気になる理由とその対策をなるべくコンパクトに表現したい。
そこで、第一に物理化学的な原因で病気になるじん肺を選んでみた。トンネルじん肺にしろ、炭鉱じん肺にしろ、貧しい労働者が罹患しやすいものである。たいていは壮年期以降に発症するから、早めに働けなくなって社会の片隅に忘れられるようにして暮らしている。そういう人を発見して労災認定にこぎつけて、ようやくまともな生活も療養も可能になるのである。一人のじん肺患者を見つけたら周囲に同じ病気の人が必ずいると考えて医師が能動的に動かなければいけない。
ただし、物理的な原因でなる病気は対策が立てやすく、今では新しいトンネルじん肺、炭鉱じん肺の人はごく少ない。
次に選んだのは、生活習慣や心理社会的な原因で病気になる成人病である。タクシー労働者のような過酷な労働をしている人は心臓病になりやすい。しかし、タクシー労働が人間らしい労働になる方法を見つけるまではその解決方法は見つからない。タクシー労働ほど過酷な労働をしていない人ではどうだろうか。健診で成人病のリスクを見つけて早期発見、早期治療に持ち込むと解決するのだろうか。早期発見しても、中小企業の労働者は早期治療にむすびつかない。特に夜勤をしているとその傾向が大きい。タクシー労働者はそれほど特殊ではない、多くの労働者が多かれ少なかれ困難を抱えていることが分かる。
一般的にも健診でリスクの高い人を見つけて、その人たちに集中的に指導をする方法はうまくいかない。2008年、厚生労働省が鳴り物入りで始めた、メタボリック症候群に的を絞った特定健診・特定保健指導は無残な失敗に終わっている。
生活習慣や心理社会的な要因によって罹患する病気には、全く別のアプローチが本当は必要なのである。これが今回の講義の中心になる。
必要なのは健康の社会的決定要因を見つけ出して解決していくことである。結局のところ、それはアマルティア・センのいう人々の潜在能力、すなわち「自律、社会参加、社会からのサポート」を充実させていくことでしかない。それと比べれば、医療機関にアクセスしやすいとか、高度医療が利用できるということは思うほど優先順位が高くない。
子供が大切にされる、失業しない、気持ち良く働くことができる、人にいじめられない、かくべつ貧しくない、食べ物がちゃんとしている、煙草や酒に逃げなくても人生に向かい合うことができる、街に出かけようと思うとき利用しやすい公共交通があるなどの方が重要なのである。
生活習慣もそれほど重要ではない。生活習慣が原因で成人病になっている人は成人病の中で1/3くらいしかいない。その人たちにしろ、生活の苦しさのなかでの「慰めの喫煙」、「慰めの食事」がなくなり、多忙や憂鬱さの中で運動不足になるということがなくなればいい。
その上、もう一つ衝撃的な仮説が浮かび上がっている。「格差の激しい不平等な社会では、階層が上の人も、下の人も不健康になる」という「相対所得仮説」である。生活も医療も貧しいキューバが、健康指標の多くでアメリカを凌駕するのは、このためである。貧しくとも平等な社会に生きることは、富んでいても不平等な社会に生きることより人間を幸福にするのである。
だから、健診を全員が受けて、異常値を呈した人が全員保健指導を受けるというところへの努力はほどほどにして、どう平等な社会を作るかに力を入れるのがいい。平等な社会でないと人間は健康になれないし、そのことに気づいた人類は平等な社会を作る方向への進化に足を踏み出したのである。
最後に、医師にとって欠かせない新しい教養項目が浮上してきている。「健康影響アセスメント」である。開発事業にあたって環境アセスメントをしないことが考えられないように、どんな政策や施策を行うに当たっても、それが健康に及ぼす影響を測定しなければならない。それは難しい数式を解くようなことではない。健康の社会的決定要因の知識を使って、推測すればよいのである。
地域生活のなかで、住民の立場で健康影響アセスメントをするのは地域の医師の当然の役割である。たとえば、市営バスの老人無料パスが取り上げられることになったとしたらどうだろうか。それはたちまち、老人の社会参加を阻害して、健康に悪影響を及ぼすだろう。その推測を医師はいち早く述べなければならないのである。
そして、サポルスキーが引用したウイルヒョウの100年以上前の言葉「医師は貧しい人の弁護士=adovocator 擁護者である」が、講義の結語となる。
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