池澤夏樹「カデナ」新潮社2009
ある女性書評家が「面白いのは当然だ、スパイ小説なんだから」と少し油断して書いたら、すぐに男性書評家が「スパイ小説だから面白いなんてどうして言える?頭がおかしくなったんじゃないか?」と批判していたので、何となく期待して読み始めた。
分かりやすくて、ストーリーに意外性もあって、エロティックなところもあって、とっても娯楽的である。
激しくなるハノイ爆撃(北爆)、あやうく核爆発につながるところだった嘉手納基地のB52 墜落事件、コザ暴動、サイゴン陥落などが巧みに物語に織り込まれていき、臨場感は十分だ。
北爆への国際的批判を広げる、日本の戦争加担をやめさせる宣伝をするなどのオーソドックスな政治運動ではなく、もっと直接的に米軍の情報を盗んで北ベトナムに知らせる、脱走兵を組織するという別のスタイルの反戦運動を描きたかったということは分かる。実際にそういうものはあったし、それが無意味だったというものはいないだろう。
実際に戦争が戦われている中での反戦運動においては、平時の平和運動とは違って、合法的な運動と非合法の運動が相補的なものにならざるをえない。
とはいいつつ、語り口が子供っぽくて私にはついて行けない気もした。この間児童小説を書いたのが悪く影響しているのではないか。小説としての緻密さからいえば池澤は「マシアス・ギリの失脚」や「花を運ぶ妹」よりずっと後退している。「マシアス・ギリの失脚」こそが彼の最高傑作だった気がする。
作者がもっとも主張したかったと思える338ページ、339ページの「いつ辞めてもいい」「一致団結して頑張らない」「一人づつの勝手な考えが、似た者同士集まってここで束になる」「一緒に来るのはいい、だがついてはくるな」「機械ではなくて生き物」、「勝手に集まる細胞」などの運動論は当時の「べ平連」そのものである。
これは鶴見俊輔が(1)やりたい者がやる、やりたくない者はやらない、(2)やりたい者はやりたくない者を強制しない (3)やりたくない者はやりたい者の足をひっぱらないとまとめていることを超えるものではない。
この運動姿勢は今では「9条の会」に引き継がれているもので、今後の運動の参考になる心構えではあるが、すでに繰り返し述べられていることで、あらためて小説で主張されても新鮮味には欠ける。
池澤は、かってそういう運動があったと記録しただけなのだろうか。
冒険小説ではあるが、作者の冒険はどこにもない・・・。
ただし、運動に潜入したスパイをどうするかという議論が343ページに出てくる。「スパイは殺す」という学生に、教授は「殺さない。みんなで捕まって裁判闘争をする」という。この部分は新しい気がした。ドストエフスキー「悪霊」が少し意識されているのだろうか。
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