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2009年12月14日 (月)

渡辺公三「闘うレヴィ=ストロース」平凡社新書、2009

10月31日、レヴィ=ストロースは101歳を目前にして死亡した。それに寄せてというより、もう少し早い時期から準備されていたようだが、格好のタイミングでこの本は出版され、12月6日日曜日の新聞書評では、朝日にも日経にも取り上げられていたので、早速注文してみた。

中公クラシックスの「悲しき熱帯」上下2冊を読みあぐねている程度の私であり、こうした事情で小さな解説書を買うのに抵抗がなくなったわけである。

第一章の「学生活動家レヴィ=ストロース」がとりわけ面白かった。社会主義学生同盟の一員だった彼が、カントとマルクスを結合させて世界を理解しようとしたのは、最近の日本のマルクス理解とつながるところがあるので特に興味深かった。p60,p96

その後も、前半は引き込まれる。

自然と人間の文明の関係に関心を持った彼に手がかりを与えたのが、エンゲルスの「自然の弁証法」だったというのも励まされる話である。P87

レヴィ=ストロースが唱える構造主義が歴史を否定する静態的視点によるものだという誤解に、映画の一場面の中にある構造を読み取ることと、映画からスチール写真を取り出してそれを映画として論じること(これは愚かしい)は違うだろうと彼自身が反論しているのは面白い。

彼は、今の世界のあれこれの現象を理解するのに、その社会の歴史を通じて理解するという方法ではなく、社会の違いを飛び越えた共通の構造として捉えることが可能だといったのである。異なる社会の一見違うものに見える二つの現象が、新しく設定された枠組みから眺めてみると共通の構造をしていることが確認できる。新しい枠組みを設定する手続きは「変換」と呼ばれる。しかし、それだけが世界の現象を理解する唯一の道だといったわけではない。すなわち歴史的な「変化」からの理解を否定したことはなかったのである。

言ってみれば、世界は「後天的な『歴史』」という縦糸と、「生得的な『構造』」という横糸で編まれていると考えられていたと解釈してよいのではなかろうか。p149

*ものの価値はそれに込められた労働時間の大きさで決まるという価値法則も超歴史的で、歴史に対しては不変なのではないだろうか。価値が交換価値という形をとるのは資本主義社会の特徴であって、価値自体はどの時代にも存在するのである。

また「植民地支配は論理的・歴史的に資本主義に先行する。・・・・資本主義の本質は、西欧の支配者が植民地土着民を扱った方法で西欧の労働者を扱うことにある(*野田による改変あり)。・・・マルクスにとって資本家と労働者の関係は植民者と植民地土着民の関係の一特殊例=「変換」の一例(野田)にすぎない。・・・・資本論に明確に書かれていることによると、資本主義の起源は、アメリカの金銀産地の発見、その土着民の奴隷化、インドの征服と略奪、アフリカの黒人奴隷飼育場への転化に求められる(*野田による改変あり)。」という発言も重要である。

こうした考え方は、ハンナ・アレント「暗い時代の人々」のなかで論評されているローザ・ルクセンブルグの「残酷な本源的蓄積は過去の歴史上に一回きり生じたわけではなく、植民地で不断に繰り返されているのだ」論と、エマニュエル・ウォ―ラーステインの「経済の世界システムの新たな変容として世界資本主義システムが生まれ発展した」論ときわめて近いところにある。植民地主義やそれに伴う自然破壊に対して闘うために、レヴィ=ストロースは、社会の構造自体の中に新しいモラルを探究していたのである。p179

以上が「闘うレヴィ=ストロース」の題名のゆえんともなっている。

ここまでは手に汗握る展開である。

後半は、構造主義や文化人類学を全く知らない私にはとても退屈で、論じられていることの軽重もよく分からなかった。

ところで、考えてみるのに、資本主義はほとんど地球全体を蔽い、もはや暴力的な植民地収奪による本源的蓄積は大規模には生じえなくなっている。(中国の奥地などではまだ本源的蓄積をやっている気もするが・・・)

これからようやくマルクスが考えたような資本主義の内側から発生して資本主義を打ち倒そうとする力が本格的に登場するのではないだろうか。資本主義の外の収奪対象がなくなって「万国の労働者」が団結できる基礎的な条件がようやく整ったというわけである。

そのときヨーロッパが、すでにEUとして「ルールある資本主義社会」を成立させているのも、そういう段階でも引き続き先進国としての役割を果たしていることのように思えるのだがどうだろうか。

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コメント

かつて日本に来たこともあるチェコの哲学者インドリッヒ・ゼレニーは弁証法的唯物論の方法を「構造的‐発生的分析」と特徴づけていました。マルクスがやったことは、資本主義経済の構造を徹底して研究することであり、その結果、その発生と消滅の力学が自然に出てくるのです。70年前後のマルクス主義者の構造主義にたいする打撃的批判は、今日からみるとあまりにもセクト的でしたね。

投稿: Tetu Makino | 2009年12月17日 (木) 17時03分

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