« 12月19日の日記 | トップページ | 12月27日 防府の年末相談テント村に参加 »

2009年12月24日 (木)

1968年の意味 私のブログの古い記事を読みなおす

自分のブログの古い記事を読みなおすと意外な発見が多い。

今のいま議論の焦点になっていることを数年前に書いていたりする。それを自分でも忘れているのが面白い。

ある記事によると、2007年の日本社会医学会のシンポジウムで、私は「診療所における家庭医、中小病院における総合病院医(ホスピタリスト)」という形で、日本の医師の将来像を述べているが、それは2010年になってようやく民医連の方針に取り込まれようとしているものだ。このときのシンポジウムでは全く注目されず、私にしてみればどうでもよいようなことが、私の横で熱心に議論されていたことを思い出した。

また、今年は1968年が注目された。

2006年6月の記事で

「1848年の革命はマルクスに目標としての国家権力を発見させたが、1968年の革命は国家権力を握ること以外の目標があるのではないかという認識に多くの人々をたどり着かせたのだというウォラーステインの意見がある」

と私は書いている。ウォーラーステインの意見自体は10年以上前から知っていたのである。

その後、2007年2月には

「1968年前後の諸事件は革命の主戦場が単純に党による国家権力の把握ということだけでなく、もっと広く深く社会そのものの変容ということに移っているのではないかという考えを多くの人に植えつけた。別の言葉で言えば『陣地戦War of Position(グラムシ)』というテーマである。」

と書いている。(一部書きなおしあり)

同じ記事の中に

「戦前の福本主義時代に近い状況は今再び出現しているのではないか。情勢論は渡辺治・後藤道夫さんをはじめとした研究者が熱心に探求し、各分野の運動はそれぞれ大きな全国組織が中央機関を持って遂行している。そういう中で共産党は、議会と外交を担当する専門組織として存在している。機関紙『赤旗』も民主運動共同の機関誌という位置づけである。旧ソ連のように大衆組織をもっぱら『伝導ベルト』として使って共産党の考えを社会の隅々にいきわたらせ、すべての運動を共産党が指導するという考え方はもはやどこにもない。」

とも書いている。

私にとって1968年は、無恥と思い上がりしか持たなかった全共闘運動が社会に大迷惑をかけた年 というより、思い描かれる革命の姿が、ある一点での政党による国家権力把握の形を越えて、左翼の諸セクターによる資本と国家権力の長期間にわたる包囲と規制という形に変わった年である。

かって民医連で論議された「非営利・協同セクター」の展望も、実はここに起源があったのではないだろうか。

なぜ1968年なのか、ということについていえば、やはりソ連軍のチェコ侵入が鍵だろう。赤旗も初日は「進入」とソ連寄りの見出しを使ったが、翌日にはその誤りを正した。あのとき革命運動のあり方の大きな転換が起こったのだ。簡単にいえば、ソ連型の古い党の社会支配を目標にすることを皆がやめたということである。

高校2年生の私が下宿の居間に置いてあった中国新聞の夕刊でその事件を知ったあの日、世界の未来の形が変わっていた。

|

« 12月19日の日記 | トップページ | 12月27日 防府の年末相談テント村に参加 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 1968年の意味 私のブログの古い記事を読みなおす:

« 12月19日の日記 | トップページ | 12月27日 防府の年末相談テント村に参加 »