「Quality Indicator〈医療の質〉を測り改善する 聖路加国際病院の先端的試み 2009」インターメディカ2009 、共産党第25回大会議案、お濠端への出張、紅葉の江戸城本丸跡
Ⅰ 11月28日、29日の短い会議出張だったが、今月4回目の出張で、東京は3回目である。その間に週一回弱のペースで当直をし、地元医師会や県保険医協会の会合にも顔を出しているので、心身ともに限界に近い。
全く意気上がらず、うつ状態で宇部空港から飛行機に乗る。
Ⅱ 今回の会議の用意に「Quality Indicator〈医療の質〉を測り改善する 聖路加国際病院の先端的試み 2009」インターメディカ2009を急いで買って読み始めていたので、座席でもこの本を開く。最初の1/3くらいまでは面白く読んだが、そのあとは飽きた。
残りの時間は、ちょうどこの日の「しんぶん赤旗」に挟まっていた日本共産党第25回大会の議案を精読することにした。
*完全小選挙区制を推進する「21世紀臨調」を名乗る民間「国家改造」運動団体があり、それにマスコミが大量に加わっている。これは報道の公平や日本の民主主義の上で大問題だ。
*経済首脳会議がG9からG20へと拡大され、さらにG192という国連加盟国すべてが参加する方向が現れ、いよいよ民主的な国際経済秩序への流れが強まっている。
*世界の軍事同盟は次々解消され、残っているNATO,日米、米韓、米豪の4同盟の中でも、日米同盟だけが特異的に拡大し続けている。(・・・・これは私の考えでは、日本企業の海外資産を守ることを名目に日本の税金にたかる米軍と、米軍基地があることで肥大を続けることができる自衛隊と、自衛隊に武器を買ってもらうことで儲けている企業群の合作でしかない)
これらのことに注目しながら読み終えたころに羽田に着いた。それから、大手町のお濠に面した貸し会議場に向かった。
Ⅲ 集会は問題提起の説明、幾つかのすぐれた経験発表の後、分散会討議に入った。座長をするがうまくいかない。自分自身が問題提起の骨格をつかみかねているのだ。
不全感が強まるうちに1日目は終わる。そのあとお決まりの交流会だが、これがかってなく準備された食事量の少ない会で、あっという間に終わる。午後8時過ぎにホテルに着くと、すぐに深い睡眠に落ちた。これも最近にない展開である。
Ⅳ 2日目の朝、少し議論の構造が見えてくる。「医療は医療専門職と患者・住民の共同の営み」という民医連の発見した命題は「医療とは何か」という本質に迫る優れたものではあるが、なお「解釈」に過ぎず、その認識に安住していることは許されないのだ。
この認識にすぎない鞍部から、どう変革の尾根や嶺へ乗り越えていくのかが問われているのである。
乗り越える方向は二つある。
一つは「患者と共同する医療職」としてのプロフェッショナルとしての深化の方向、もう一つは共同自体の深化である。
前者は簡単に「医療の質」の前進と言えるだろう。医療安全、医療倫理、治療成績の評価などを臨床疫学に基づいて深めていくことである。そこでは共同は説明責任、患者参加の保障など医師のプロフェッショナルとしての能力として表現される。
後者は社会疫学に基づく医療政策、健康政策の確定である。働き方を改善する、失業率を下げる、ジニ係数を低くする、子どもを大切にすることなどの必要性について、根拠をしっかりさせ、方法を具体化して市民が共有する。ここでは共同は市民の潜在能力の開花として表現される。
両者に共通することは、ともに疫学的な手法にのっとった根拠=エヴィデンスの確かさをめざすことである。
こういう風に、「共同の営み」を単なる解釈から変革の方針に考えることができる、と気付くとようやく元気よくホテルから会場に向かうことができた。
しかし、座長であることと、自分の考えを展開することは両立しがたい。そこを悩んでいると、K副会長が自分のほうから、今日は自分が座長をしようと言ってくれた。
Ⅴ そこで、安心して自分の考えを述べているとK副会長は「野田先生はやさしいことを難しく表現しすぎる」と批判してきた。
それは当たっているが、そうでない部分もある。現象をそのまま受け止めるのではなく、自分が従来から持っている枠組みの中に位置づけて理解しようとしているので、難しく見えるだけでもある。どういう枠組みなのかを理解してもらうと、むしろ分かりやすくなるはずであると思う。
という風にいろいろ考えながら、会議の日程は終わった。私は私なりに発見があったので満足して貸し会議場を出た。
Ⅵ 貸し会議場の前にあるお濠を渡るとそこは皇居のある旧江戸城本丸である。本丸の遺構はそれほど残っていないが、紅葉はきれいだし、冬に咲く桜も満開となっている。たくさんの老人が、ボランティアらしい老人の講釈をメモしながら歩いているのが印象的だった。しかし、宮内庁の厳重な管理下にあるのでくつろぐことはできない、それを強く感じながら散策して空港に向かった。
Ⅶ 空港では上記の聖路加病院の本を読み終える。この程度のものを出版しても売れるのは、病院間の権威勾配、あるいはヒエラルヒーが強固に形成されているせいだと考えた。まだまだ医療の質を評価して、医療の道筋に結びつけるのは難しいということが逆に証明されているもののようでもある。
こうして、11月最後の出張は終わった。
*書き忘れていたことがあった。1日目の食事の乏しい交流会で、このブログにときどきコメントも頂いているハンドルネーム「元外科医」さんに会うことができた。意見をたくさん持っていらっしゃる方のようだったが、1日目の私は迷いの中に沈んでいたので、どうしても話が途切れがちだったのが残念である。
| 固定リンク
コメント