加藤周一「ある晴れた日に」岩波現代文庫2009、医療指標、病院のダウン・サイジング・・・東京ー高松への出張
19日木曜日から恒例の東京出張。西から東に吹くジェット気流が時速200Km以上で、それに後押しされた飛行機は予想外に早く羽田に着いた。
Ⅰ そこで浜松町駅内の書店に寄って、かさばらない本を探すと、上記が見つかった。
小説「ある晴れた日に」は、1949年に雑誌『人間』に連載され、1950年に月曜書房から単行本として出版されたもの。平凡社の選集の13巻に収められているが、選集では読んでいなかったし、それは二男のところにあるので文庫本版を迷わず買った。
1941年12月8日も1945年8月15日も晴れていた。ある晴れた日に戦争は始まり、ある晴れた日に国民は戦争から解放されたわけである。
その戦争の時代に東京にに住む青年医師だった加藤さんの体験が随所に現れる小説で、小説としてはさほど優れているとは思わなかったが、出張の前半には読み終えることができた。
手触りとしては、野上弥栄子や堀田善衛に似るが、それは登場人物が大半中流上層であり、主な舞台が軽井沢だからだろう。だが完成度としては「迷路」に遠く及ばない。
登場人物は、片方に富裕な中年婦人とその仲の良い娘や病院の同僚がやりきれない俗物としていて、対極にヨーロッパ帰り、あるいはヨーロッパ志向の悩み孤立する正義派がいる。その中間に、元海軍高官の良識的老人。悪役としては、強面の憲兵。これらは、考えてみるとステレオタイプというものだろう。
好意的に描かれる元将軍は、たいていが海軍出身で、陸軍出身ではない。上流の登場人物たちとバランスを取って配置される農民は朴訥か狡猾の二つしかない。
主人公である青年医師の恋人でありながら、焼け落ちる病院の消火のため主人公の勇気のなさを非難して防空壕から飛び出し行方不明になる、漁村出身の貧しい看護婦の扱いは感傷的でしかない。
その辺が気にもなるのだが、戦争直後の雰囲気を知るには、良いテキストだと思える。そもそも、加藤さんのごく早期の未熟な作品なのである。そういうものとして読むべきものである。
Ⅱ 出張目的の会議自体についていえば、今回は少し重かった。帰ってきて2日目の今日もその疲労が残っている。
一つは、医療の質を測定するのに、どういう指標を用いるとよいか、という話である。
貧困を測定するのに、所得だけではなく、その人の持つ潜在能力の各側面(自律、政治参加、社会のサポートほか)を詳細にみていく必要があると言ったのはアマルティア・センだったが、、医療の質についても同様に適切な多側面の検討が必要なのである。
しかし、具体的に何をどう測定すればよいかはまだ十分に解明されているとは言えない。測定する指標の候補を挙げて、その決定因子である病院組織と、その上で進められる医療活動との三者構造の関連を経年的に追い、有用かどうかを考えている段階である。
たとえば、糖尿病の治療効果の指標として、全患者のHbA1c平均値を選び出し、それに結びつく病院の組織として糖尿病専門医の配置を取り出す、さらに専門医の機能として糖尿病教育を選択して、三者の変化を経年的に追跡する。そうすると、専門医が配置されて、その人が患者教育に専念できるようになった翌年から、HbA1c平均値がぐんぐん改善したことが分かる。そこで、この三者構造を一応正しいものとして、組織と医療活動の改善案を考え、その後の変化をさらに追跡するということが始まる。
これは膨大な入力と、三者構造として仮定される無数の組み合わせの検討という気の遠くなるような作業である。ただしコンピューターがあれば、入力さえしてしまえば、あっという間にグラフがかけてしまえるものかもしれない。
私たちの仲間の埼玉の病院で、その努力をした結果、58の三者構造が見出されたということであるが、それは、その病院なりに、という前提がつく話である。果たして、自分の病院で可能だろうか。また、それが本当に医療を良くするのかどうか。
Ⅲ そう書くだけでも疲れの記憶がよみがえる会議を終えた後、高松に向かう。
高松空港を利用するのは初めてで、高松市内に向かうバスからの風景も物珍しいが、折悪しく宇部の病院から私の担当患者が悪化しているという留守電が飛行時間中に入っていることに気付く。満員のバスの中で治療上の指示を出すことは難しく、高松の中心地につくまで携帯を握りしめて脂汗の流れる30分だった。全国組織の役員をしていることが恨めしくなる場面である。
バスから降りてその件はどうやら片を付けたのだが、そのあと待っていた会議は、医者が次々辞めていく病院がどうしたら戦線を縮小し、次の飛躍までを耐えてやり過ごすことができるのかという、なんとも気の重くなるテーマを抱えたものだった。
そういう病院は幹部の人間関係に破綻を来していることが多い。それを前提にして妥協点を見出して決定的なところまで破綻してしまわないようにやり過ごすか、思い切り踏み込んで人間関係悪化の原因を究明してしまうしかない。後者の場合、相当な覚悟がこちらにも必要である。
会議は、しかし、その前段階にとどまり「幹部が団結していない」といういまさらのことを「発見」して終わった。それは当人たちには分かりすぎているほどのことだから、どれだけ意味があったものだろうかと思いながら、瀬戸大橋を渡って、岡山に向かった。
マリンライナーの中では大学学部長のM氏に出会う。最近、この人とよく顔を合わせてしまう。
Ⅳ 岡山駅の新幹線待合室の小さな書店は、寄るたびに必ず掘り出し物がある。今回も面白いものがあった。
これはまた項を改めて。
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