10月2.3日 全日本民医連学術運動交流集会・品川正治講演・三好春樹を読んだ効果
上記の集会への参加のため、群馬県前橋市に出かけた。
群馬の地理に暗いので上越新幹線高崎駅から両毛線に乗り換えたときには、あたかも山陽新幹線新山口駅から山口線あるいは宇部線に乗り換えたとき他県の人が感じるであろう不安を覚えた。
これが、県庁、あるいは大学医学部のある街に行くアクセスなのだろうか。もちろん、前橋の方が山口や宇部より大きくかつ東京に近いので都会なのだろうが、夜の前橋は暗い。
それでも、朝になると、大きく広がる赤城山の裾野が見えて、こういう山が毎日見えるのもいいと考えたのだった。
集会の目玉は経済同友会終身幹事 品川正治(しながわ まさじ)氏の講演だった。品川氏の話は宇部で一度聞いたことがあり、語られたこともそれほど違わなかった。違っていたのは、学徒動員で出陣した中国戦線で、「助けて」と叫ぶ戦友を見殺しにしたトラウマが消えたのは、島根県での講演のときだったというくだりである。
それ以前に戦友の母親が息子の最後の様子を聞きに彼のもとを訪ねてきたとき、彼は真実を話せなかった。
しかし、その後、島根県に護憲・平和を訴える講演に出かけたおり、彼は戦友の生まれ故郷の村から数十人が聴衆として来ていることを知らされる。戦友は島根県の山間部の出身だったのである。
ついに、彼は演壇の上からではあるが真実を話し、謝罪する。それを聞いて村の人たちはみな泣いてそれを聞いたとのことである。
「その時、私のトラウマは解けた。それから私は自らの中国戦線での戦争体験を、南方戦線の兵士たちの悲惨さに比べれば物の数ではないにしても、若い人に伝えなくてはならないと思った」
講演の最後に彼は「今日お礼を言いたいのは私の方だ。よく話を聞いていただいた。
『九条を守る』と日本がアメリカにはっきり言えばアメリカの戦略は変更を余儀なくされ、世界史が変わる。
日本と世界の今後を皆さんにお願いする。今日は本当にありがとう」
と言って席を立った。
司会の人が「品川さんにもう一度大きな拍手を」と言ったが、その前からずっと拍手は鳴りやまず、舞台jから彼が姿を消した後もしばらく続いた。
そのあと受付には目を赤くした人たちが弁当を取りに並んでいた。
さて、この集会での私の仕事は、介護関係の研究発表のポスターの部の座長である。三好春樹さんの一般向けの本を精読していたのがとても役に立った。
認知症予防教室という取り組みで、いわゆる「脳トレ」などはせず、自分の人間関係をマップに仕上げるという試みを発表している人がいた。
老化の過程で、自分・家族・社会との間の関係に「こじれ」を生じることから認知症が始まり、その後の環境の変化(転居、入院、別離など)で進行する。その際の介護の要諦は生活を一定に保つことで、なるべく環境を一定に保つ、便秘をさせない、脱水に陥らせないことだというのが三好さんの言っていることであるが、その発表は、三好さんの説の中核に触れていた。
座長として思いきり誉めておいた。その際、介護に通じているふりをしていたのではないかと心配である。
そのほか、私の病院のリニューアルのとき、院長だった私が提案して、京都の設計事務所から「それは空想的だ」と笑われた「ポータブルトイレの水洗化」が、ついにTOTOから試作品が出始めたという発表もあった。まだ1台50万円くらいなのだが、これが成功すれば、老人病院の環境が一気に改善する。私にもお金儲けのチャンスがあったのかもしれないと無性に悔しくなったのであった。
さて、群馬から帰ると、もう一度、アマルティア・センと社会疫学の話にのめりこまざるをえない宿題が待っていて、読書の楽しみは当分奪われることになっていた。
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