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2009年9月30日 (水)

介護を生活の視点で捉える・・・三好春樹「まちがいだらけの認知症ケア」主婦の友社2008

三好春樹さんは私の中学・高校の1年先輩である。それまで優等生がなると決まっていた生徒会長に慣習を破って立候補し、ノート片手に激烈な演説の結果、優等生候補を破り当選した。生徒会長になると間もなく、「制服の廃止」を求めて校舎封鎖を敢行し退学になった。*なお当時の私は、この校舎封鎖は実行者の主張とも結びつかない勝手な行為であり、他の生徒の学ぶ権利の否定でもあるので、とうてい肯定できないものだと考えていた。

それから三好さんはどうしているのだろうと思っていたら、25年くらい経って、今度は介護界のカリスマ的存在になっているのを知った。最近では、川本隆史さんから私に送ってもらった同氏編集の「ケアの社会倫理学」有斐閣選書2005でも有名な専門家に交じって堂々と一章を担当している。ある程度「地頭(じあたま)」のよい人はどんな境遇に置かれても頭角を現すものだとつくづく思った。

そして先日、NHK教育TVを見ていたら、彼が登場して「認知症老人の問題行動の半分以上は便秘による」と、彼の長い介護経験の中で発見したと思える大法則をさりげなく話したので、私はあわてて書店に走ることになった。今の私が知らなければならないことがたくさんあって、それは全部、三好春樹が発見しているとなぜか確信したからである。普段は見ることがない「介護」の棚を見ると彼の本が実にたくさんある。そのなかで、もっとも読みやすそうなものを選んだのが上記の小さな本である。

彼のいうところを私の理解した限りで簡単にまとめてみよう。(「」は三好さんの引用でなく、私がわかりやすくするための言葉の括りにすぎない。)

①認知症は(アルツハイマー病やピック病を除いて)脳の病気ではなく、自然な老化の「こじれ」である。脳の委縮は認知症の原因というより、結果に過ぎない。

②この「こじれ」は老化する自分との関係障害、すなわち自分の老化を受容できないとことが中核のようだ。しかし、そのことの原因は個人に還元できず、社会的な要因が大きい。ただし、このことははまだ解明されているとは言い難い。言えることは、認知症は、「関係性という人間の本質」が関係していることである。

③認知症は、体の障害に起因したあきらめなどの意欲低下=自分との関係悪化を中核にして、家族関係の悪化、社会的関係の喪失という、三層の(それぞれが相互に関連する)階層をなす構造をもつ「関係障害による生活障害」の形で現れる。

認知症は、生活の中でとらえるという立場から、現象的に、「葛藤型」「回帰型」「遊離型」に分類される(竹内孝仁)。

葛藤型は「ふがいない自分」へのいらだち、

回帰型は「過去の自分」のイメージへの固執、

遊離型はあきらめ・閉じこもりである。

認知症を悪化させるのは関係の悪化であるので、いまある関係を変えない、変えても影響を最小限にとどめることが必要になる。

まず、環境を変えないこと、それができないのであれば、生活習慣を変えないこと、それもできないのなら、せめて、人間関係を変えないこと、それもできないのなら、似たような人間関係を準備することというふうに対策を立てていくのが原則である。

④認知症の悪化、すなわち問題行動(たとえば尿・便失禁、介護拒否、徘徊、暴力、妄想、弄便・異食、性的な異常行動)の発生の原因は生活の中にある。

第一に便秘である。 続いて、脱水、発熱、慢性疾患の悪化、季節の変わり目の交感神経興奮、薬の作用が問題となる。

問題行動の原因は生活の中にあるという認識が確立すると、その予防策も立てやすくなる。「排泄最優先の法則」、すなわち便秘対策が最も大切で、それは薬による「排便管理」ではない。毎日の排便の促しである。「○○さん、いいところに行きましょう」とでも言ってトイレに誘導し、排便努力を毎日してもらう、その蓄積が問題行動を減らしていくのである。

⑥個別の問題行動対策は、大きく言って上記の認知症の分類ごとに違うが、生活の中で解決することがあくまで原則である。たとえば、被害妄想に対しても、妄想を持たないでいいような環境を準備すれば解消するのである。

⑦ともかく、「普通の生活を作り上げる」ことに最大の重点を置く。

「今より良くなることを要求し、明日に健康を回復するため今日を耐えよう」という医療と反対に、「今をあるがままに受け止めて、今が一番いい時と考えて、今をどう充実させるかにかける」のが介護である。介護の世界では、それが「普通の生活を作り上げる」と呼ばれる。

「普通の生活」では「食事、排泄、入浴」が基本であり、それに照応するものが三大介護と言われる。

「食事、排泄、入浴」が満たされた「普通の生活」を送っていくうちに「健康」になっていく。

これは、医療が「まず健康を取り戻して、それから普通の生活に帰ろうとする」のとは逆である。

普通の生活のためには、「できないことはさせず、できることをしてもらう」ことが方針となる。長谷川式痴呆スケールなども、何ができて、何ができないかを知る手段として行う。点数をつけることを目的としてはならない。

何ができて、何ができないかの誤解がある。要介護度が高い人ほど、早くディサービスなどの外部に触れていくことが必要だ。「元気になったらディサービスへ」、などと考えるのは間違いで、「明日は行けないかもしれないから、今日行こう」という姿勢になる必要がある。それが健康づくりになる。そして、個性は集団の中でしか光らないことを銘記すべきだ。個性を排除しないためには集団は大きいほうがいい。そこでは、認知症による劣等感からも解放される時間が保障される。いっぽう、自分で外出できて友人のところに行ける人はディサービスに行く必要はない。

多くのケアマネージャーはこのことを理解していないので、重度の人ほど「訪問サービス」で済ませてしまう傾向がある。

*集団では理屈ではない「相性」が大切。相性がよい人がいないと集団は苦痛になる。

⑧老いと認知症は、近代的自我から離れて、生き物に帰る過程といえる。自己決定は困難で、介護関係の中で忖度して決定するしかない。介護関係の主役は家族である。介護力は介護職に任せても、介護関係は家族が担うべきである。

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コメント

私はケアマネジャーをしています。私はこれまで三好春樹さんの講演会にも参加させて頂いています。また三好春樹さんの本もよく読ませて頂いています。三好春樹さんの大ファンです。だからこの記事はとても楽しく読ませて頂きました。ありがとうございました。

投稿: 水口栄一 | 2020年12月 5日 (土) 19時35分

水口様、ありがとうございます。改めて読み直して、自分でも面白いなぁと思いました。

投稿: 野田浩夫 | 2020年12月 7日 (月) 21時06分

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