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2009年8月24日 (月)

武田 寛「爆央と爆心 1945年8月6日 ヒロシマで何が起きたか」学習の友社 2000・・・大江健三郎の誤った思い込み 附:「恋する彼女、西へ」

 8月15日、広島市己斐の川本隆史さんの実家で、私は旧友T君に40年ぶりに再会した。川本さんのお取り計らいのおかげである。T君は広島で開業している。そのとき話したことは極めて私的なことなのでここでは省くが、T君は私のブログの2008年2月の記事にかかわって、上記の本をくれた。

どういう記事だったか、まず振り返ってみよう。

:雑誌「世界」1995年1月号『大江健三郎特別対談』(相手は安江良介)書き抜き

*ミラン・クンデラが、記憶するということは、権力に対する弱い人間の武器だと言いました 。記憶によって僕たちは生きている。

広島で何万人かの人間が一瞬のうちに蒸発してしまって、誰も彼らを記憶していないということと、僕たちが一人ひとり記憶されつつ死ぬということはまったく違う。

生き残ったものは記憶し続けることが必要で、僕たちは『あのひと』を記憶するという形で文化を継承しなければならない。 :

もちろんこれは大江の言葉である。

これに関連して、上記の19ページには「誇張のもたらすもの」という章があり、瞬間の蒸発などは実際にはありえなかったことが詳しく記載されている。

「何よりも、爆心地でも被爆直後数時間であれ、数日であれ、大部分の被爆者は生きていた」「生きながら焼かれ…想像を絶する苦痛をなめさせられ、多くは肉親に看取られることなく死んでいった」のであるから、一瞬にして蒸発したと表現してしまえば、「全人類が心すべき被爆のディテールが考慮の外におかれてしまう」のである。

では、大江がなぜそのように思い込んでしまったかは広島の行政書類などにもそのような記載があるという事情があると思える。

広島の地上は原爆投下後に大火災が起こり、原爆の熱線の100倍以上のエネルギーを浴びて地表が溶けた。これが、のちの水爆実験後のクレーターなどとイメージが合わさっていって、一瞬で人間は蒸発という想像が多くの人のものになったと思える。長崎はこの点、谷間の町だったので、大火災には至らず、そのため炭化した死体が多く残ったのである。広島では、炭化を通り越して死体は灰になったのと対照的である。

もちろん、ブログに引用したとき、私自身もまったく疑っていなかったので、大江を責めることはできない。ともあれ、私も大江も認識を変えないといけないということである。

なおこの本52ページには、広島では400ラドの被曝で半数が命を落としたが、チェルノブイリでは600ラドでも半数は命を取り留めているという記載がある。戦時中の人間は消耗しつくしており、いくらソ連の国民とはいえ平和時に生きている人とは、被曝に対する抵抗力がまったく違ったという点、社会疫学を学んでいる今の私にとって、きわめて興味深いものがあった。

そのほか、いろいろ学ぶことがあったのだが、それについては、これから時々追加して行こうと思う。

*この夏、ケーブルTV日本映画専門チャンネルでみた「恋する彼女、西へ」は鶴田真由が主演していたが、内容はとんでもないものだった。ただ、その中で、鶴田真由の相手役になる男性は爆心地近くのビルの地下室で奇跡的に助かった人という設定で、これはこの本にも出てくる野村英三さんをモデルにしたものと思える。とんでもない映画ではあっても、広島の映像満載なので広島出身者には一応お勧めかもしれない。どうとんでもないかというと・・・→60年前の8月6日の広島原爆投下前日から現代にタイムスリップしてきた若い日本海軍兵(矢田貝亨)が軍服を纏ったまま広島市内をさまよっていた。そこに東京に本社を置く建設会社勤務のキャリアウーマン(杉本響子)が通りかかった・・・

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