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2009年7月30日 (木)

私と「四季の歌」

この夏、第52回全国医学生ゼミナールが松本市浅間温泉で開かれ、地元の医学生が参加するのでカンパしてほしいという袋が回ってきた。

この地名は懐かしい。

1971年だったか72年だったか、やはり夏休みに(何回目かは忘れてしまったし、その存在も自然消滅した)全国民医連運動研究サークル交流集会が同じ場所で開かれ、私も参加したからである。大学2年生か3年生で、一人で広島・山口を出るというのは初めてのことだった。父が広島県加計駅で松本駅までの往復切符を買ってくれたが、駅員が予約作業をずいぶん難しそうにしていたと話したのをまだ覚えている。名古屋から中央線でたどった駅名をいまでもほとんど記憶しているのでよほど初めての一人旅が印象深かったものと思える。

学生運動に加わってごく初期の段階だったため、集会のすべての場面で緊張していた。佐久総合病院の若月俊一先生の講演もここで初めて聞いたのだが、中身はすっかり忘れている。

帰りの急行に乗り込んだときようやくほっとした。名古屋で乗り換えて、4人掛けの普通の座席で一夜を明かす夜行列車で広島に向かった。確か「金星」という列車ではなかっただろうか。この列車は予約が取れなかったが、名古屋始発なので座ることができた。

*検索してみると夜行列車「金星」は1968年から1982年まで名古屋―博多間を走っていた寝台特急である。

列車は若者でいっぱいだった。床に寝ている人もいた。ちょうど前に座ったのは神戸大学の教育学部の女子学生だった。松本で買った林檎を分けてあげて、集会で印象に残った歌の歌詞を思い出して題名を尋ねると、それは「四季の歌」で神戸大学では普通に歌っていると教えてくれた。医学生がたくさん集まる集会の模様に興味があるようだったので、いろいろ話し、さらに話題は政治の国内、国際情勢に及んだ。

その人が神戸で降りると、斜め前のボックスからさっと小柄な青年が空いた席に移ってきて、さっきから聞いていた君の話が面白くて、と挨拶した。九州大学法学部で学生自治会の執行委員をしている人だった。学生ストライキ、暴力と怒号に満ちた学生大会、機動隊の導入のことなどについて経験交流をしていると神戸と広島の間は近かった。夜明けの広島駅に降りるときまで一睡もしないままだった。

9月になって大学の仲間に「四季の歌」を知っているかどうか聞くと誰も知らなかった。歌って聞かせようとしたが、あまりに音痴なので歌とは思えないと言われた。しかし、その後、あちこちの集会で歌われ始めたので、私が無理をして教える手間は省けた。

最近の朝日新聞土曜日版「be」でみると、「四季の歌」は1964年荒木とよひさが作ったとのことである。東京から山口まで伝わるのに10年くらいかかったわけだ。

それにしても、40年前は人と人の距離が随分近かったようだ。今では、飛行機で隣り合わせた人と会話するなんてまず考えられない。ただし、青年と初老という違いもあるかもしれない。

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