国立近代美術館「ゴーギャン展」3日目に行った・・・《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》初来日・・・ソフトバンクの犬の謎
雑誌「民医連医療」9月号の依頼原稿1万字をようやく書き終えた。
ソリッド・ファクトと社会疫学の説明という依頼だったが、難しいことが二つあった。
まず、社会疫学については関連の本を10冊ばかり読んだというだけの全くの素人であったこと。しかし、一臨床医として社会疫学の成果をどう受け止めたかは書くことができると思うので引き受けたのである。
もう一つは、説明・報告という役割が生来苦手だということである。自分の意見を言うのはなんとかできるが、他人が考えたり言ったりしたことを要領よくまとめてしゃべることはできない。中学生のころから読書感想文が苦手だったのは、義務のように本の要約を冒頭に書くことを求められたからである。今回もこれにもっとも苦労した。器用なことはできないのだ。
というわけで、脱稿してすこし気が楽になったところで、7月5日曜日、東京・竹橋にある国立近代美術館に「ゴーギャン展」を見に行った。
江戸城のお濠の中にあるこの美術館は古く粗末な建物である。開催3日目の初の日曜なので行列ができているはずと思いながら地下鉄を乗り継いでたどり着いた。場所が悪いのか、人はほとんどいない。今回の目玉は、ボストン美術館蔵で日本初公開の《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》(1897-98)であるから、こんなはずはないと思いながら、しかしやっぱり人は少ない。展示作品もそう多くはなく 急かされない静かな時間が過ごせた。
誰にも邪魔されずに《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》の前に立ち、大きな絵の前を右に左に歩いてみることができた。
同じ絵を作者ゴーギャンも描きながら同じようにして見ていたのかもしれないことに気付いて、ゴーギャンになった気分で眺める。
いくつかのことを初めて知った。
ゴーギャンが株の仲買人をやめたのは1882年の金融恐慌のせいで仕事がなくなったからである。今回の戦後最大規模の金融恐慌もすごい画家を生むきっかけになるかもしれない。
ブルターニュにはケルト文化が色濃く残っており、ゴーギャンはそこにタヒチと同じ野性を感じたのである。
彼がタヒチに向かってフランスを立った時、「失われた純潔」のモデルでもあった恋人は妊娠していた。
タヒチで妻とした女性は13歳にすぎなかった。
「熱帯のイブ」として何枚もの作品に登場する女性のポーズは、ジャワ島のボロブドール遺跡のレリーフをモデルにしたもので、タヒチとは無関係である。ちなみにイブを誘惑する蛇は、ゴーギャンの絵ではトカゲとして表現されている。
死を待つ女性が頭を両手で抱え込むポーズは、ペルーのミイラから思いついたもので、これもタヒチとは無縁である。
《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》の中心にある偶像は仏像ではなく、タヒチの土着の神様、再生を司どる月の女神である。
一番驚いたのは、絵の中に描かれる犬は、たいていの場合ゴーギャンを表すということである。
決まった動物を自分に擬すというのは、古代的で面白い手法である。どこかで真似してみようと思った。
*ソフトバンクの白い犬のお父さんは、ゴーギャン=犬の公式の応用に過ぎないことが証明された。
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