聴濤(きくなみ) 弘「カール・マルクスの弁明」大月書店、2009年
山口アジア・アフリカ・ラテンアメリカ友好協会という誰が作っているのか分からない団体から、1月に行ったキューバ医療視察の話を頼まれた。
それで、キューバのことについて何か新しい話題を探していたら、上記の本が書店で眼に飛び込んできた。
最初に、社会主義思想はマルクスが考え始めたものではなく、ルソーなどの近代人権思想が先行しているというごく当たり前のことが書いてある。おや、と思ったのはこの項が「ルソーとカストロ」という題名になっていたからである。カストロは若いころいつもルソーの「社会契約論」を携えていたと言うのである。
ルソー、カント、3人の空想的社会主義者、マルクス・エンゲルス、セン、カストロという思想的系譜が想像されるような書き出しである。
それから、話は社会主議論に移って「社会主義を守り抜いたキューバ」という章がある。
西ヨーロッパに革命が起こるのをじっと歯を食いしばって待っていたロシア革命初期のレーニンと、アメリカの経済封鎖に耐えているカストロの類似が指摘されているのはとてもユニークだ。
ソ連の応援物資の粗雑さに驚いたゲバラは、ラテンアメリカ全体に革命が起こらない限りキューバは生きていけないと考え、キューバを去ってゲリラ闘争を続け結局はボリビアで死んだ。
残ったカストロたちは、経済的な発展には成功しなかったが、50年間革命を守り抜いた。その背景には、世界の心ある人のキューバへの共感がまず第一にある。もう一つはカストロたち指導部と国民が相互に自発的に信頼しあっていることによる。
カストロは強固なルソーの影響で平等を何より大切にし、政治的特権階級はついにキューバに生まれることがなかった。医療と教育を何より重視して「医療国家」とさえ呼ばれるようになった。
そのうち、ラテンアメリカには、ベネズエラ、ボリビア、エクアドル、ニカラグア、ブラジル、アルゼンチンと次々革新政権が誕生した。
特にベネズエラは積極的にキューバを支援しつつ、国内では市民共同体という協同組合的生産が発展し、キューバの医師の応援のもと医師養成に努め、平均寿命も延びつつある。短命だったレーニンには訪れなかった幸運がカストロには来た。ゲバラの願いがかないつつある。
こういう話の展開は分かりやすいし、私たちがキューバから何を学べばよいのかを率直に教えてくれる。
全体に、この本の語り口は単純で新鮮である。
例えばレーニン死後のソ連の話。
当時トロツキーは、市場を通じて社会主義をめざすレーニンのネップ政策には反対で、農民からの収奪を強めて工業化を急ぐことを主張していた。これに対しレーニンの方針を守ろうとしていたのはブハーリンだった。スターリンはトロツキーを追い落とすためブハーリンと組んで、それに成功する。しかし、トロツキー追放後、スターリンは掌を返してトロツキーの工業化偏重政策を採用し、レーニンに忠実なブハーリンを殺すのである。そしてソ連は社会主義と無縁のものになる。
スターリンには社会主義の理念などかけらもなかった。彼の思想は、単純な大ロシア民族主義=ロシア民族中心主義であり、ロシア民族の国家が強大になることだけが彼の目的だった。これは戦前の日本の国粋主義者と同じである。
ゴルバチョフも結局はスターリン流の党官僚に過ぎず、スターリンの誤りを訂正することができないまま、ソ連は滅びる。
ボッファの「ソ連邦史」を何度読んでも理解できなかったことが、聴濤氏の手にかかると簡単に解き明かされる。
それにこの本に引用されている人たちのほとんどは共産党に反対する人たち、あるいは共産党に意識的に同調しない人たちだ。例えば広松渉氏。彼が計画経済に極めて疑問的だったことが肯定的に取り上げられて、共産党幹部にありがちな彼への毛嫌いがまったく感じられない。その上で、共産党の考え自体は丁寧に説明される。
著者 聴濤 弘さんが、4.17ストライキの際の指導で失敗し更迭された聴濤克己さんの子供と言うのも今回初めて知った。
そういえば、あの指導の誤りのとき、宮本顕治氏は中国海南島で静養中で誤りに関与しなかったことになっているのだが、はたしてそういうことがありうるものだろうか。それは宮本さんにあまりに好都合なのではないだろうか。
*聴濤克己氏と弘氏の関係は、朝日新聞記事の検索で読むことができる。父、克己氏は朝日新聞出身で産別会議の議長を務めた後、共産党から立候補して衆議院議員になっていたが1950年6月レッドパージで公職追放され、9月家族の前から姿を消す。このとき母がさめざめ泣いているのを見たと二男の弘氏は語っている。
なお聴濤克己氏は1964年の4.17ストライキに際しての指導を誤ったとして批判されたあと、党に姿を見せなくなり翌年急死している。弘氏はのちに共産党から参議院議員になる。どういう気持でいたのだろう。
それがこの本のスタイルに若干の影響を与えている気がする。
*そういえば10年位前、民医連の事務局には伊藤律氏の息子さんがいた。みんな複雑な気持ちで人生を送っていたのだろう。
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コメント
たまたまここにやってきました。
残念ながら、聴濤弘の歴史偽造にころりと騙されておられるようです。
>当時トロツキーは、市場を通じて社会主義をめざすレーニンのネップ政策には反対で、農民からの収奪を強めて工業化を急ぐことを主張していた。これに対しレーニンの方針を守ろうとしていたのはブハーリンだった。スターリンはトロツキーを追い落とすためブハーリンと組んで、それに成功する。しかし、トロツキー追放後、スターリンは掌を返してトロツキーの工業化偏重政策を採用し、レーニンに忠実なブハーリンを殺すのである。
これは滅茶苦茶です。まず、ネップ政策を主張したのはトロツキーです。トロツキーの意見をレーニンらが受け入れたのです。また、ネップは、「市場を通じて社会主義をめざす」ものではなく、レーニンがはっきり言っているように「一歩後退」でした。そして、1929年以後スターリン派が採用した政策は、トロツキーの工業化テーゼ(1923年の党大会で採択)とは全く違った、冒険的なものでした。
聴濤をはじめとするスターリニスト官僚は、トロツキーが正しかったことを認めると、スターリン主義の後継者である日本共産党の存在そのものが問われる事態となるため、歴史を偽造してでもトロツキーを中傷し続けなければならないんのです。
投稿: The Big Apple | 2012年11月13日 (火) 07時46分
コメントありがとうございました。
トロツキーのネップに対する態度は確かに自分自身で確認しておく必要があると思いました。ここのところトロツキーへの興味を失っていたのですが、著作集に当たってみることにします。ご示唆のおかげです。
ただネップはレーニンの主観では一歩後退でしたが、その前の「戦時共産主義」自体が到底前進などと呼べるものではなかったので、後代から客観的に見ると新たな大きな挑戦でした。
それから、一度近くで話を聞いただけですが、聴濤氏は「スターリン官僚」と呼ばれるタイプではなく、そう呼ばれるべきは別の人物だと思います。
投稿: 野田浩夫 | 2012年11月14日 (水) 10時01分
コメントありがとうございました。
僕も20代で強い官僚的統制を受けていた時代は今でも思い出したくありません。
医学部6年のとき医師国家試験を控えて同級生は試験勉強一筋でしたが、僕は地方選挙の活動に強制的に狩りだされ、勉強する時間が保障されませんでした。
また反抗的だというので地方機関によって信じられないほど長いあいだ党員「候補」のままに放置されました。
そういう嫌なことは山ほどあったのですが、少なくとも自主独立の人民的議会主義の路線だけは正しいと思って活動してきました。この間宮本顕治氏も死亡し、前衛という自己規定もなくなりました。
さらに、最近の直接民主主義的市民運動の高まりの中で、役割の変化かならず生じると思っています。
現在の共産党はトロツキーについては少なくとも中立的です。現在の聴濤氏に「党官僚」の雰囲気は全くないと思えます、村岡至氏を肯定的に評価できるところまで彼も変化しています。
投稿: 野田浩夫 | 2012年11月20日 (火) 17時09分
私は「人民的議会主義」の路線は完全な誤りである、と断じます。コミンテルン第2回大会の「共産党と議会に関するテーゼ」と読み比べてください。
私は、大衆的労働者党としての社会党の崩壊とともに、日本では労働者階級が議会・選挙に参加する意義は失われたと考えます。今こそ議会・選挙に背を向ける時です。
また、「現在の共産党はトロツキーについては少なくとも中立的です」とおっしゃっていますが、そうではありません。先の投稿で書いたように、聴濤弘も「トロツキーはレーニンの一国社会主義論を否定した」という歴史偽造に訴えていますし、日本共産党千葉県常任委員会も「一国社会主義革命を否定し世界同時革命論に立つトロツキズム」などという歴史偽造をしています。http://jcp-chiba.web5.jp/kennsei/nisesayoku.html
また、スターリニズムとトロツキズムの間で「中立的」などということが可能であるわけがありません。日本共産党はスターリニズムのコミンテルンの日本支部であり、それ以降もスターリニズムの「国際共産主義運動」の一部であったのですから、トロツキズムの正しさを認めれば党の歴史的正統性が全面的に崩壊してしまうのです。
投稿: The Big Apple | 2012年11月21日 (水) 03時52分
ついでながら、村岡到は阿呆です。彼が『資本論の誤訳』というトンデモ本について書いた事を読んでみてください。村岡到は『資本論』を少しも理解していないことは明確です。
村岡到は、自称「トロツキスト」であったようですが、トロツキズム(ボリシェヴィキ=レーニン主義)の根幹を少しも理解しませんでした。
投稿: The Big Apple | 2012年11月21日 (水) 03時58分