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2009年7月14日 (火)

総合診療医のQOLと 川本隆史編「ケアの社会倫理学 医療・看護・介護をつなぐ」有斐閣選書、2005

7月11日には山口民医連の医師仲間数人で、山口大学総合診療部准教授の村上不二夫氏の話を聞いた。もうすぐ大学を辞めて地域の病院に出る彼の総合診療に関わる考えを聞くためである。

正直なところ、総合診療のあり方に関しては大学の医師より自分たちの方が本家だと思うのだが、大学病院というそもそも総合診療が成立しないような場所で奮闘してきた人の意見を聞くのは興味深いものがあった。

米国でも、一時期、医療費を抑制するのに、医療の門番(ゲートキーパー)としての総合医の役割が喧伝され、家庭医療学が盛んになったが、最近は再び専門医の方が圧倒的に優勢になったと彼は話した。

貧困と格差の進行で、医療費を払えない貧困層と、その逆にいくらでも払える富裕層への2極分化が進んで、貧しい人相手の総合医は減り、富裕層相手の専門医が増えているのだろうと私は推測した。ただし根拠は今のところない。

その話を聞きながら、私が最も印象的に思ったのは、専門医は狭い範囲で技術を確実に高めていき努力に見合った報酬(収入・称賛・明確な新しい挑戦課題)を得やすいという点で、構造的にQOLがよくなる職種だということである。

総合医はまさにその逆である。問題は絶えず多彩な原因不明という形で発生して、問題解決に熟練するということもなかなか許されない。絶えず専門医の援助を下手にでて依頼しなければならない。早期診断という決定的な場面で患者の役に立っていても患者の感謝は紹介を引き受けて治療した専門医に向かう。報酬も勤務医であればあまり良くない。

総合医は構造的にQOLが低くなる職種なのである。

その条件下で、総合医であることを引き受けようというのは、国民医療の中でのその重要性を理解するという、非利己的かつ理性的なふるまいである。その意思の水準をどうしたら維持できるのか。

そういう話を切り出すと、

「ラインのケアも必要ですね」と村上君はいう。

確かに自分を認めて褒めてくれる上司は誰にも必要なのだ。

「あとは仲間。勉強会にどんどん出ていくことです」

「サブスペシャルティを持つことも大事です。私は消化器をやっていたので、そこに研究課題をもっています」

それは若干陳腐だ、と私は思った。総合医のサブスペシャルティ 亜専門なんて、言葉の矛盾だし、いつでも専門医に転向できるという逃げ道ではないか。もし、総合医のサブスペシャルティがあるとすれば、総合医に徹する中で見つけた、決して臓器専門医が手をつけない領域、たとえば、臨床的な産業医療、安全問題、倫理問題などではないか。言ってみれば、医師の中の哲学者が総合医なのだ。

「私はそれほど深い考えを持つ必要はないと思います。手軽なところで、自分の興味を持てるところが見つかればそれでいいのではないのですか」

その時、私は、川本隆史編「ケアの社会倫理学 医療・看護・介護・教育をつなぐ」で読んだ武井麻子(日本赤十字看護大学精神保健看護学教員)「感情労働としてのケア」を思い出した。

武井さんも似たことを言っていたのだ。

医療は「非日常の汚れ仕事」であるが、そういう暗い印象を押し隠すため病院全体として感情労働を行なっている。豪華な設備は人生の暗闇を隠す舞台装置だし清潔で明るい服装や、接遇マニュアルはその脚本である。

接遇マニュアルは、感情労働者の「表層演技」の教本である。オウム返しを繰り返す傾聴姿勢、絶やさぬ微笑。

それによって患者側から報われるものがあるとすればそれでよい。

しかし、患者は治るものばかりではない、多くは増悪し、やがては死に至る。医療者は報われないどころか憎悪の対象にもされる。このとき、患者に真に共感しようという「深層演技」の誘惑が医療者を捕える。

しかし、それでも感情のお互いのやり取りは多くの場合成立しない、報われないことが圧倒的だ。

そのとき、自分への報酬は自分で調達するしかない、上司、仲間、「自分へのご褒美」のケーキや旅行。酒。煙草。

それが調達できなかったとき、自殺率が高まる。これが感情労働の代償である。

武井さんは言う。「共感せよ」の イデオロギーを再検討した方がよい。感情労働者に必要な感情はそんな大それたものでなくちょっとしたことだ。ちょっとした興味、好奇心、必要とされる感覚、必要とされること自体を自分が必要としているという自覚、自分もまた与えるばかりの人でなく「求める人」なのだという自覚、それがあれば燃え尽きない、自殺しないのではないのか。

村上不二夫君も同じことを言ったのだ。大それたことでなく、ちょっとした興味が、私をこの世に、この生に、つなぎとめるのだ、と。

*だが、気づいた人がいるだろうか。
武井さんが言っていることは本質的にニヒリズムである。

「医療は患者と医療者の共同の営み」、という医療の本質を否定し、医療従事者にその前線からの後退を勧めているのである。

しかし、問題はそういう話に現場労働者が心の底からうなずいてしまう過酷な現実のほうにある。

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