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2009年6月24日 (水)

長崎出張の効果…林 京子作品が読みやすくなった

実は、長崎にわずか数日でも滞在したのは今回の出張が初めてだった。

これまでは、大学を卒業した年の夏に、両親と、嬉野、島原半島、天草を回ったことがあり、そのとき長崎を通過した覚えがあるというだけである。

今回の出張でも、どこも見物する気はなかった。することは会議の場所とホテル・コンビニの往復だけと、いつものように決めていた。

ところが、会議と会議の間に3時間も空白があり、会議場のすぐ前に電停がある。しかも、長崎の市電は運賃支払が簡単で、降車時100円均一なのである。乗らないではいられない。

谷間に長く延びた小さな町の底を玩具のような電車で登っていくという、童話風な散歩が待っていた。

広島とはずいぶん趣の違う平和公園に行き、少し離れたところにある原爆資料館にも行った。被爆後すばやく現地入りした米軍に押収されたのか、資料はそれほど多くない。それでも、展示はよく工夫されていて、核兵器問題をしっかり学習することができる。韓国語を話す老若男女の一団がいて、熱心に話し合っていたのが印象的だった。もちろん、長崎の原爆で亡くなった半島の人たちは少ない数ではないだろうし、北朝鮮が核実験を繰り返している今は、より切迫したものに感じられるはずだ。

爆心地という狭い窪地にも立ってみた。傍を流れる小川が死体で埋まっていたというのが実感される。ようやく長崎に来たという気がその時、初めて起こった。まるで、ずっと前から来たくてたまらなかった自分がいたように思えた。

宇部に帰って、林京子の文庫本を手に取ってみた。実は、林京子は苦手な作家だった。書店で見かければ義務的に買うことは買うのだが、地味な語り口のためか退屈して読み続けられない。この前、我慢してようやく「無きが如き」(1981年、講談社文芸文庫1989)一冊を読み切ったが、まだ読んでない本がたくさん残っている。

ところが、長崎を一度訪れると、突然興味深い小説家になってしまった。

取り出した「無事」は、1981年5月19日ライシャワー元駐日アメリカ大使が核積載米艦船は自由に日本に寄港していると発言したその日、「私」が初めて広島を訪問した時のことを描いた作品である。

当時、広島空港は市内西部にあって、飛行機がそこに着陸しようとするとき、あたかも原爆投下のため広島上空に侵入した爆撃機に自分自身がなってしまったような錯覚が「私」に生まれる、ということが最初のほうに書いてある。

実は、私も神戸や、大阪や、名古屋などの大都市を見下ろしながら飛行機が進むとき、そこを空襲する爆撃機に乗っている感覚にはよく襲われるのである。今回も、雲仙の北を通って、山間を縫いながら大村空港に飛行機が降下する間そんなことを考えていた。

もちろん、作品の中心はそこにはない。「私」の恩師の若い女教師が、被爆後に工場動員されていた教え子の安否を尋ねて歩き回り、何人かの名前の下には「無事」と記して、1か月後には原爆症死する、その「無事」という言葉の意味を「私」が自問する場面こそが、中心である。ここで涙を抑えられない読者は多いだろう。

ともあれ、これからは自由に読むことのできる重要な作家を得たというのが、この出張の成果だった。

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コメント

修学旅行で長崎へ行ったとき、原爆資料館で展示物を見ていて気分が悪くなり、途中で逃げ出しました。けさの新聞に肥田舜太郎先生が書いておられるように、現実を直視するところから始めねばなりませんね。なんとか被害を認めないようにして補償を避けようとする歴代政府の方針はいただけません。

投稿: Tetu Makino | 2009年6月25日 (木) 09時03分

先生の修学旅行は、何年のころでしょうか。
今回、見学した資料館の展示はスマートで、むしろスマートすぎる気がしました。
それでも、感受性の高い中高校生には耐えられない写真などもあるのかもしれません。
肥田舜太郎先生の新聞記事はこれから読もうと思いますが、ちょうど肥田先生が林京子の作品の中に登場しているのではないという話を書きかけた所でした。

投稿: 野田浩夫 | 2009年6月25日 (木) 10時13分

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