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2009年6月 1日 (月)

民医連用語「民主的集団医療」について・・・川本隆史「双書 哲学塾 共生から」岩波書店2008に触発されながら

「民主的集団医療」は、民医連医療の重要かつ本質的な特徴の一つだが、その用語の硬さとふくらみのなさのために、十分理解されていない場合が多い。
メモ的にしかならないが、「民主的集団医療」をどう捉えるかに関するポイントについて触れておく。

これは、著者川本隆史さんからいただいた上記の本を読み進めながら考えたことである。この本自体については、もう少し時間を置いて触れてみたいと思う。

○まず、第一に職場が(患者の存在を前提としながらも)そこに働く人々の「自己実現の共同体」であること。
すなわち、「つつましい日常の営み」を静かに「丁寧に進めることのできる場所」であること。
また、ポジティブなフィードバックが保障されていること。

○職員の分業と協業のネットワークが縦横に展開され、かつ全体として調和が取れるようコントロールされていること(例:活発な委員会活動と、各委員会活動間の調整統合がなされていること・・・これがTQM total quality management
である)

○以上のことが実質的になるためにもっとも重要なことは、組織が可能な限りフラットである、すなわち権威勾配が少ないものであることである。
医療の安全にしろ、医療倫理にしろ、慢性疾患管理にしろ、職員間の権威勾配が少なく、自由な議論が保障されていることが前進の鍵であることは、この間のそれぞれの問題に関する全国的検討交流集会で明らかにされたことである。
(そういう意味では、私が役員室を与えられていることも問題がある。可能ならば、一定の広さを備え、静かさを保障された「法人本部室」に机が一つあれば済むことである)

○民主的集団医療は、職場を超えて地域に広がっていく、すなわち地域医療の民主的形成と連続する同じ平面にあるということも注目しておかなければならない。

ただし、そこでは、もっと複雑な「権力関係」に私たちは出会うはずである。医療界のなかのヒエラルヒーや競争、医療機関の経営者たちの思惑は民医連組織内の「権力関係」とは比べようもないほど複雑で非理性的である。それにどう対峙するかは、「民主的集団医療」の範疇を超えて別に論じなければならない。

*ところで、この「双書 哲学塾」は全15冊で、その中には、私が以前から注目している竹内章朗さんの「新自由主義の嘘」が入っている。

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