①マイケル・マーモット -セン -後藤玲子 ②イチロー・カワチ ― ロールズ - 川本隆史
2008年の2月に全日本民医連の理事になり、毎月1-2度の上京が義務的となったが、まれに見る高齢新人理事であったため、さほどの激務は与えられず、WHO欧州事務局が作った「健康の社会的決定要因 確かな事実の探究」Solid Facts を読んで解説することが初仕事となった。
それは生活習慣が病気の原因だという浅薄な理解を退けて、病気の原因をその人の置かれた社会的状況から説明しようとする、根源的で挑戦的なテーマを扱ったものである。
これは、すなわち「社会疫学」という学問を知るということに等しかった。その中心人物はイギリスのマイケル・マーモットと、アメリカのイチロー・カワチである。
人間と社会の関係という哲学的な問題について、マーモットのよって立つところはアマルティア・センであり、イチロー・カワチはジョン・ロールズである。
センはロールズを批判しているが、結論では一致すると言っている。
そのあたりの見取り図を得るまでが、素養のない田舎の臨床医には苦労の連続だった。
そのなかで、日本の解説者に、後藤玲子や川本隆史がいることを知った。
特に川本さんと個人的にも知り合いになれたことは思ってもみない大収穫だった。
とくにロールズの「ヒロシマ発言」1995の紹介は衝撃だった。「ヒロシマへの原爆も、日本各都市への壊滅的焼夷弾攻撃もすさまじい道徳的悪行であった」、とアメリカの一時代を画した哲学者が断言していることを、川本さんの本を読むまで私は知らなかった。ヒロシマ原爆が、天皇と日本の指導者の面目ある退路を保障するものだったとも彼は言っているのだ。
広島で少年時代を送った人間として知っておくべきことをこれまで知らずに来た自分が恥ずかしく思えた。
また、おりしも全日本民医連は1961年に作った綱領の改定作業中で、社会疫学の勉強はその議論にも大いに役立った。
民医連が直感的に把握し、組織を挙げて長時間にわたって継承して検討を続けている「質的研究」の仮説が二つあると私は理解している。一つは「病気の原因は生活と労働に求めなければならない」こと、もう一つは「医療の本質は、患者と医療者の『共同の営み』である」ことである。
その2仮説が、最近になって、世界の医学の中でも明瞭な形態で意識され始めた。前者は「社会疫学」であり、後者は「NBM 物語に基礎をおく医療」あるいは「PCM 患者中心の医療」(中心人物はイアン・マックウイニー)である。
ここに至って、民医連の綱領が、少数派の信念としてでなく、世界の医療の多数派の科学的な見通しとしての表現に革新される可能性が出てきた。
今の私のごく荒い印象としては、「社会疫学」のみならず「患者中心の医療」もセンやロールズに関連付けられて初めて、医療という狭い世界でのみ通用する学説に終わることを脱するだろう。
センやロールズの視点で、民医連の綱領を眺めてみることが、今、一番新しい課題である。
「社会の中でもっとも困難な状態におかれている人びと」の立場に立つというミッション部分の規定が、情緒的で鼻もちならないととらえる若手の医師もいるが、これはロールズ正義論の核心にまっすぐつながった表現である可能性がある。であれば、どこにもあいまいな情緒性はないのだと主張できるのである。
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