« コルトレーンとハートマン | トップページ | 民医連とロールズ 「もっとも困難な状態におかれている人びと」規定について »

2009年5月21日 (木)

注意されたこと、思い出したこと

このブログを書いていることから、最近二つ変わったことがあった。

一つは旧友のA君から注意を受けたことである。高校の同級生が政治家になっている件について、ある嫌悪感を表現していたのだが、ネット上でするべきことではないというお叱りだった。臓器移植に関わる法律の改定で彼が登場しており、気になっていたのでつい書いてしまったのだが、A君の言うとおりであると考えたのですぐ削除した。

そういえば、高校がヘルメット集団の手で封鎖されて中間試験が延期されたとき、正門あたりが騒然とする中で、A君に「君なんかは試験がなくなって喜んでいるだけだろう」と言い放って一発頬を張られたことがあった。持つべきものはまっすぐな性質を持つ友人である。

もう一つは、ブログの記事がご縁でお便りをいただいた方があり、そのあとのやりとりの中で改めて気づいたことがあったということである。

私は33年地域の真っ只中で医者をやってきて、医者であることが自分の天職であるかのように自分自身で信じ込んできたが、果たしてそれは本当だっただろうか。

医師であることに何の真剣な惧れも感じることがなかったので、平然と医学部に進学し、日々のルーチーンに心身を埋めているのである。しかし、医師の仕事を深く考える青年であるほど、安易に医師という職業を選ばないのではないか。

27年前、もう一人の高校の同級生が、すでに医師になっていた私に「自分も医者になれるだろうか」と電話で訊いてきたことがある。その時は年を食った人の学力上の心配だろうと思って「大丈夫だよ」などと答えたが、あの質問は「自分のようなものでも医者をしていいのか?」という意味だったのだと、今日初めて気がついた。

質問者の買い被りだったのである。そんな真剣な問いに答えられるような人格が電話先にはいなかったのだ。

もちろん、彼は優れた地域医療の実践家になっている。

*あらかじめ設計図をもたず社会に向き合う実践家の特徴は反省・省察のあくなき繰り返しであるが、彼はとっくに私に電話して相談するなどという愚行を反省し克服しているに違いない。

|

« コルトレーンとハートマン | トップページ | 民医連とロールズ 「もっとも困難な状態におかれている人びと」規定について »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 注意されたこと、思い出したこと:

« コルトレーンとハートマン | トップページ | 民医連とロールズ 「もっとも困難な状態におかれている人びと」規定について »