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2009年5月26日 (火)

私の平凡な日々 および池口恵観のローカルな影響力拡大、CILと障害者インターナショナルなるものについて

23日土曜日は医療生協理事会。いつものように、情勢分析を兼ねた15分ほどの挨拶。A君からもらったシンガポールの社会保障個人会計の報告、「民医連医療」6月号の湯浅誠さんの比較的長いインタビューを資料につける。レセプトオンライン義務化の猶予を認める閣議決定に規制改革会議が噛み付いて、おびえた厚生省が病院いじめを始めている話をする。まずまず受ける。それと、もうすぐ総代会があるので、今年度方針の「はじめに」と「情勢の特徴」を書いて提案する。いつものことながら自分の文章を朗読されるのは苦手だ。

24日日曜日は市医師会の総会に参加。大半書かれたものを読み上げるだけの形式的な議事の続く中で、たった一人の質問者となる。4点質問する。①私の考える病院ー診療所連携の理想、②レセプトオンライン化に医師会が反対しなければならない理由、③中小病院の臨床研修指定病院外しに反対してほしいという要望、④県の福祉医療制度後退提案に対して、市レベルでも抵抗していく必要性。昔はこんな場でも上がってしまい言葉がもつれたものだが、今は全く平気。これも初々しさがなくなってまずいことかもしれない。

その後の懇親会では、医師会長が私の質問に正面から答えたのか、はぐらかしたのかが、若い会員たちの話題となる。古い会員は、私の質問で議事が長引いてしまい大相撲千秋楽の大事な二番を見ることができなかったことに不満を述べる。ふと気付くと、ある公務員医師が立派な数珠をしている。公務員が宗教的なものを身に帯びてはいけないなどと野暮なことを言うつもりはないが、気になって池口恵観師関係かと訊くと、そうだという。あたりが少しきな臭くなる。

*最近、池口恵観という人の弟子が山口大学医学部、山口県庁、岡山大学医学部それぞれの所属の医師のなかに増えているようである。個人的には各人理由があるようだが、背景には個人的理由を超えたものがありそうだ。スポーツ選手のなかにも信者が多く、6.9阪神・金本の報道の中で、一緒に何かを火にくべて一緒に祈っているところがTV画面に写しだされていた。もちろん、政治家との関連がもっと深く、安倍普三、鳩山邦夫との関係は有名である。

25日月曜。「ロールズ」解説書の著者から直接別の著書を送付して頂く。著者からの送付は神戸の額田勲先生から岩波新書(「がんとどう向き合うか」)をもらって以来の珍事なので舞い上がる。「はしゃがないように」と看護師さんから釘を刺される。そこで普通に働いたあと当直。救急車を淡々とこなしていると、入院患者で異変(腸炎からDICに悪化)発生。説明できない病態に考え込んでいると、メールが変だというご注意が来る。変な設定をしてしまったらしい。お詫び他を書いていると、ものすごく変な文章のまま送る羽目に。明け方少し眠る。

26日火曜日。当直明けだが普通に勤務。内視鏡をしながら手待ち時間に居眠りを繰り返す。そのうち昨日の異変患者さんがまだ改善していないことに気付く。これは早めに、大学病院に転院を依頼しなくては。大学病院も空きベッド少なく交渉に手間取る。ようやく、行き先のセクションが決まって、転送用の救急車を依頼し(颯爽と)乗り込む。大学病院からの帰りはタクシー。白衣のまま乗ると、運転手さんが感染を警戒する様子。それも無理はないが、ふと脅かしてみたくなる。素人をいじめてどうすると思って目を閉じるとすぐ眠ってしまう。起こされて、病院に着くと、午後外来が1時間遅れで待っている。「いないうちに心不全の人の入院を決めておきましたよ、担当は先生でいいですね」の声。勝手にしてくれ、という気になる。いつ、帰れるのだろう。いつ、本が読めるのだろう。

27日水曜日 夜は県連理事会。マンネリ化している「チーム医療」を変革するものとして「TQM(」医療の品質管理を地域や病院全体を単位として構築する方法)の導入、それに職員全員が気付く手段としてTQM「大会」の開催を考える。お祭りとしてのTQM大会をばねに、本物のTQMの前進につなげるという戦術だが、用語の重複がまずいのかもしれないが、両者の関係がなかなか理解されない。孤立感を感じる。「どうせ、自分たちの労働のことだろう、自分たちで考えろ、俺は知らん」という気持に最後はなっていく。最近、この会議はいつもそういうところに落ち着いて、気分が暗くなる。仕事に対して主体的でない人の集まりのように仲間を断定するのは、こちらに仲間を変えようというエネルギーがなくなっているせいだろう。年齢から考えると仕方ないのかもしれない。それに、私にはほかのことを放置してもいまのいま読んでおきたい本がたまっているのだ、解明しておきたい謎、到達したい認識の目標があるのだ。それは結局は他人のためなのだが、当面、目の前の同僚のことなど構っていられないという気がする。

・・・この記載はあとで考えると、職員全員の、あるいは組織全体の自己実現にも責任を持つべき理事長の私としての任務放棄に読める。管理者であるより、一プレーヤーであることを選んでいる私の後ろ向きの姿勢がよく現れている。しかし、管理者の任務はひと時も忘れたことはないのだ・・・。

28日木曜日 午前中、外来をしながら、気になっていた自立生活センターCILという組織について調べる。背景に障害者インターナショナルという団体のあることに気付く。そしてその友好団体は部落解放同盟だというはっきりした言明を発見する。すべての不審点が解ける。夜、医学生と看護学生相手に、1月のキューバ視察の話を2時間する。医学生の中には、父親が愛知県の民医連の医師とという人もいる。愛知で医師をしている私の次男とも面識があるらしい。格差症候群を克服しているキューバと、これからそれが本格的に深まろうとする日本の比較を主に話す。また、格差が正義に叶うのかどうかをどう考えるのかという根源的な話もする。

許される格差とは何か。それは社会の最も不遇な人たちの利益になる格差である。我田引水だが、医師や教師を優遇することで、最も不遇な人々が幸福になるのなら、医師や教師の優遇という格差は許容される。また、大学入学に黒人枠などの逆格差を設けることもある程度までは許容されるはずだ。このように、基準を最も不遇な立場の人に置くということが、「正義」を考えていく際、論理的にも求められるということも強調する。その途中、悪性リンパ腫で末期のTさんの血圧が下がったという連絡が携帯に入る。病院に帰って診察したりしていると帰宅は日付が変わって29日1時になる。

29日3時就寝。若い人と話した影響か寝付けない。ようやく夢を見たと思うと4時30分、別の患者さん、若い肝硬変の人の息が止まっているという知らせが枕元に置いた携帯に入る。シャワーを2分で浴びてタクシーを呼ぶ。病院に着いたとき、当直医の手で死亡がすでに確認されていた。死亡診断書を書きながら、いっとき、不幸だったこの人の一生をカルテから想像する。おそらく自分のせいではないのに、ずっと責め続けられ通しの一生だった。私が関わったのは、その最後の、もはやどんな介入も修正もできなかった2週間である。

睡眠1時間強で、29日金曜日の業務が普通に始まる。「患者の安全を守れず、自らの生命の危機があるので、病棟業務から撤退する」と宣言してみようかという気になる。ただし、理事長がそんな発言をしたときの混乱を考えて、その考えを追い払う。

夜は医師会の内科医会に出席。「肝硬変の最新治療」という話を聴く。さして新しい話ではなかったが、慢性肝炎と肝硬変のあいだに治療の境目がなくなり、肝硬変になっていても、恐れず核酸アナログ(逆転写酵素阻害剤)やインターフェロンを使うべきなのだなぁと改めて思う。自分は慎重すぎて、治せる人を放置している結果になっているかもしれない。その反面、B型肝硬変も併存している気管支喘息や肺線維症の患者さんに気軽に副腎皮質ホルモンを投与して、激しいB型肝炎ウイルスの増殖ー肝機能の増悪を招いていることに無自覚であるかもしれないという恐れも感じる。しかし、その辺で眠気は圧倒的になる。講演終了後の懇親会に残ったのは年長者ばかりで共通する話題も少なく、インフルエンザ対策に関する感想にうなづきながら粛々と会席料理を食べた。

30日土曜日、起床すると思いがけない時刻になっている。シャワーを浴びずに15Km離れている、今日の勤め先である診療所に向かう。10分遅れて到着。患者さんが1人だけ待っている。まだ、目が覚めていない。口もうまく回らない。

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