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2009年5月12日 (火)

慢性疾患医療って?

9日、10日は仙台で開かれた集会に参加した。

東北新幹線に乗ると、風景が西日本とは全く違うし、また人口密度もこんなに少ないのかといつも感心する。網野善彦「日本社会の歴史」岩波新書1997によると、1万数千年前から列島東部と西部の地域差は存在し、次第に大きくなって行ったとのことであり、この車窓の感想は間違っていないのだろう。

仙台での用事は慢性疾患医療をテーマにした集会である。

一昔前まで、高血圧や糖尿病を長期間診察していくための、検査・治療・教育の組み立てが、この問題の中心課題だった。ある意味、医療者から患者への一方通行を前提にしたスキルの精緻化が競われていたといってよい。

その様相は今は全く変わっている。要点は二つある。

一つは医療のあり方に関わる転換である。医療を患者と医療者の「共同の営み」と捉え、医療者の物語である「疾患」と、患者の物語である「病い体験」を相対化してともに重視し、二つの物語が融合して共通の目標が生まれることを目指す。カナダのマックウィニーを代表とする「患者中心の医療Patient  Centerd Medicine」と呼ばれるものである。

もう一つは、人はなぜ病気になるのかという問題への考察の深まりである。今日の理解から見ると「成人病」、あるいは「生活習慣病」という括りは浅薄なものでしかない。イギリスのマイケル・マーモットや米国のイチロー・カワチを代表とする「社会疫学」は、疾患の原因となる重要な社会・経済因子の存在を証明した。ほとんど全ての病気にその因果関係は認められ、これまで病気の原因と思われていた生活習慣も社会・経済因子が左右していることがわかった。

そのような認識上の深化が、日常診療にどう影響を与えていくかが、集会の本当のテーマだった。

しかし、言うは易く、行いは難しのことわざどおり、議論してみると、実際の診療場面の変化はまだまだ先のことのようだった。そのせいもあってか帰路の疲労はいつにも増して深かった。

疲労が取れないままの今日、不機嫌に(ということは事務的にということだが)外来を進めていると、はっとすることがあった。

患者は63歳の男性で、昨年呼吸困難で入院した人である。じん肺と肺気腫による慢性の呼吸不全が残った。母と二人暮しで職はなく、生活は極めて厳しい。職歴がはっきりしないので労災申請もできそうにない。先々月ようやく生活保護が支給され始め、生活のめどがついた。

その人が「昨年から13kgも太った」という。なぜかいつも何かを食べていないと落ち着かないという。確かに昨年の入院時はやせ方が著しかったが、今は普通に見える。「じゃ、この次に来たとき、血液検査をしましょう。糖尿病の検査も入れておくから」と私は答えてカルテに計画を書き始めた。

「血液検査ですか・・・そう、血液検査もしてほしい。去年入院したときは死んでもいいと思っていたが、今は生きたいと思うようになったから・・・」

声が変なので、カルテから顔を上げると、患者は泣いている。

「そうね、生活保護が取れるとようやくそういう気持ちになれるよね」

そのまま、患者は顔を手でおおって診察室を出て行った。慢性疾患を診療するということはこういうことの積み重ねなのだ。

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