金子勝「閉塞経済-金融資本主義のゆくえ」ちくま新書2008.7・・・ロールズ正義論の解釈はこれでいいのか?
14日から16日まで出張していた。今回は、旧友に久しぶりに会って、またまた貰い物をしたり、シンガポールでの社会保障個人会計の実態と思える話を聞いたりして有益だったが、その話はまた別の機会にしよう。
上記は16日、帰りの飛行機のなかで読んだ本。
リーマンショック以前の出版で、解説も落ち着いているが、現在の金融恐慌・世界同時大不況の理解には好適の本だと思える。
競争を誘導するインセンティブ(利益誘導刺激)主体の政策が医療や介護をどれだけゆがめるかについて力説していて好感が持てる。
このインセンティブに乗って、「住民から選ばれる病院になろう」などという合言葉がいろんな病院で叫ばれているが、そんなことをいっている病院はもう一度よく考え直さないといけない。
病院を選ばなくてはならない住民くらい不幸なものはないのではないか。何の考えもなく受診した近くの病院で最高の医療が当然のように提供される、これが私たちの求めている姿である。
個々の病院が経済的に最適な状態を求めていくと、社会全体ではとんでもない医療を実現してしまう。それについても、この本は「パレート最適」を引用して分かりやすく説明している。
それはいいとして、私が少し気になったところを挙げておく。ジョン・ロールズの正義論を取り上げたところである(162ページ)。ロールズ正義論の第二原理を金子は「社会・経済的不平等に対して、最も不遇な人から優先して是正されなければならないけれども、機会均等の原則を侵すようなやり方ではいけない」として、結局、ロールズは結果の平等より、機会の平等を優先しているのだとしている。
そうだろうか?ロールズは「格差は、最も不遇な人の利益になる場合にのみ正義に叶う」としているのではないか。ある人にいい待遇を与えることは、その人が特別優れているため回りまわって最も不遇な人を含めて社会全体がよくなる時にのみ許されるといっているのである。あるいは、最も不遇な人に特別待遇をすることも許されているとも解釈できる。いずれも金子さんの言うのとは違うのだ。
また、163ページにある、アマルティア・センによるロールズ批判が機会の平等優先か結果の平等優先かというところにあったというのも不正確ではないか。センは、ロールズの言う平等が「物」の平等だけにとどまっているのを批判して、もっと幅広く潜在的能力(衣食住、移動、医療、文化、社会参加など)の平等に拡大されなければならないといったのではないか。
しかし、まったく素人の私が、自分の勉強のメモ代わりに無責任に言っているだけのことである。著者のほうが正しい可能性も高い。
ところで、こうして書いていると、医療の世界でも、医療の外の世界でも、現代のキーワードはセン、ロールズ、そしてマルクスではないかという気が強くしてきた。私ごときがそれと正面から向かい合っていたのでは医学の勉強ができないのが悩みとなるのであるが。
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