岩井克人「貨幣論」ちくま学芸文庫版1998 続き・・・10数年前の本だが、今こそ読まれるべきだろう
実は第二章以降はさして面白くない。
まず、貨幣の起源について、みんながほしがるような特定の商品が貨幣になった、最終的には金(gold)に落ちついたという貨幣商品説があることが紹介される。
ついで、共同体である取り決めをして、適当な何かを貨幣にしたという貨幣法制説が説明される。
結局、起源を決めることは無理だという結論になる。これは、言語の起源を求める難しさにそっくりである。
結論として、貨幣は、その貨幣を貨幣として認める「貨幣共同体」が永遠に続くという仮定の上に成り立つ危ういものであることが次に述べられる。
しかし、貨幣共同体の秘密は、あるなんでもないものが貨幣になるという飛躍点で剰余価値は作り出されるというところにある。
それは、労働力という商品が自らの価値以上の価値を作り出し、それが剰余価値として資本家の手に入るという資本主義社会の秘密以上の秘密である。(岩井としては、貨幣だけが剰余価値の起源だといいたいのかもしれない)
したがって、ハイパーインフレーションという状態で、貨幣が無力になるとき、資本主義は本当の危機に直面するだろう、というのが著者の主張である。
剰余価値は、労働力の消費から生まれてくるだけではなく、貨幣を商品世界の特別な媒介因子とするところからこそ生まれてくるのだ、これが新しい資本論だという話でもある。
貨幣の変形である証券が、労働力の消費を含まないまま(*)商品となって、自ら増殖するという状態が、通常の商品の流通を押しのけて、流通の主流になった今は、岩井の説明がすんなり理解できるときである。(*証券会社のトレーダーたちの新証券考案作業を「労働」と呼ぶべきかどうかということを考えなければならないが、やはり労働ではないのだろう)
どこまで信用して肩を持っていいのか分からないが、貨幣がGDPの3倍以上も流通している「マネー資本主義」と呼ばれている現代の資本主義を説明しうる何かではあるという気がする。
最終的なこの本の主張が正しいかどうか私にはよく分からないところもあるが、現在こそ読まれるべき時期だろう。
そして、まさしく現在こそが著者のいうハイパーインフレーションであり、人々が貨幣から離れ、貨幣を統制することを始め、貨幣がそれ自体として剰余価値を生むという状態を廃止することを展望しうるときなのかもしれない。それはそれとして、積極的な主張につながる。実体経済を立て直せ、というような平凡な主張ではあるが、竹中平蔵よりはいいだろう。
しかし、そのときこそ、剰余価値の唯一の源泉は労働力となり、時代はマルクスの資本論の世界になっていくのではないだろうか。
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