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2009年4月13日 (月)

京都で医療倫理の交流集会

4月11日、12日と京都で全日本民医連の倫理問題の交流集会が開かれた。

私には、1日目の模擬倫理委員会の司会や2日目の分科会の座長の役目が回ってきたが、いわばお手伝い役なので気軽な気持ちで出かけた。晴れた日で新山口駅から京都駅までの新幹線の沿線は桜が満開近くに咲き残っていたので、早朝に出発する負担感もあっという間に消えた。

行きの地下鉄でばったり会った同僚のS先生は今回の委員長なので緊張しっぱなしだったのが申し訳ない気がする。

夜は、引き受けの京都民医連の人が先斗町の小料理屋を準備してくれていた。何人かの仲間でタクシーに乗ったが、事務局の人が「せんとうちょう」へと運転手さんに言って通じず、K-1先生に叱られていたのが面白かった。

2日目、K-2先生が話しかけてきて、「先生、会場の少し向こうに誰かの立派なお屋敷があって、昨日、周りから見たのですが、若葉がそれはきれいでしたよ、やっぱり京都ですよね」と 教えてくれた。

分科会の運営がそれなりにうまくいって明るい気持ちだったので、閉会後、お勧めに従ってそのお屋敷のほうに足を向けた。私の予想通り、それは京都御苑・京都御所だった。たしかに誰かのお屋敷には違いないが、天皇の屋敷だったのである。

閑話休題、集会はこじんまりとしているが、それなりにしっかり充実した内容になった。特に聖隷浜松病院の副院長兼看護部長の勝原裕美子さんによる講演「ケアに関わる倫理」は、しっかりした看護学研究者らしくよく整理された内容だった。この人の名が入っている論文は注目しておくべきだろう。

以下に印象的だったところを若干紹介しておく。

医療者にまつわる倫理を①生命倫理 ②臨床倫理と分類するのは普通だが、彼女はこれに③「組織倫理」を加えていた。最近問題になっている諸問題、たとえば患者からの暴言や暴力、不平等な療養環境、医療過誤の開示、医療の質とコストのバランス問題は、②ではなく③に分類されるのである。(組織倫理問題の検討に臨床倫理4分割表はもちろん有効ではない。それなりの方法論が必要なのであり、それは今後の重要な課題であると感じられた。)特に患者の暴力・暴言問題は緊急の課題になっており、聖隷浜松病院も、委員会の前段階と位置づけられる「・・・問題運営会議」が勝原さんの提唱で設置されたとのことだった。

また医師や看護師などの実践的専門家が「倫理綱領」を持つ理由として①実践的専門家の行動指針、自己の実践を振り返る時の基盤を提供するもの、②専門職として自ら引き受ける責任の範囲を社会に明示する、という二つの側面があるとしていたのは、民医連綱領議論の参考にもなると思われた。 綱領は、自らの行動指針でなければならないし、同時に社会に対する約束なのでもある。 たとえば患者の暴言・暴力に甘んじることは医療者の責任範囲ではなく、逆に甘んじないことが責任なのだろう。

倫理的な意思決定力を高めるためには①倫理的感受性を磨くことと、②「道徳的推論」に強くなることが必要だ、というのも共感した。倫理的感受性は、民医連がいう「人権のアンテナ」に他ならない。「人権のアンテナ」より表現としてすっきりしているかもしれない。問題は「道徳的推論」である。これは「社会一般の道徳的基準に照らし合わせながら問題を考える」ことである。 その能力は、話しあう中でしか高まらない、と勝原さんが言ったのが印象的である。 医師の「診断推論」能力も、同僚医師との討論、結果の反省の積み重ねの中でしか向上しないのとよく似ている。

ところで「推論」とはなんだろうか。辞書に当たって調べてみる必要があるが、私が関心を持つ総合医に不可欠な能力の一環としての「診断推論」と、今回取り上げられた「道徳的推論」の共通性から考えるに、それは特に帰納的な推論をさしており(*演繹的推論は、格別に推論と称す必要がなく、「証明」とか「考証」と呼んだほうが分かりやすい)「結論が簡単には決まらないことが分かっていることを、それでも手探りのようにして回答を求めて進むこと」のようである。

勝原さんは「倫理課題に正面から向かい合い苦闘した体験を、次に生かしていくこと」の連鎖が実践的専門家のキャリアそのものだとして講演を締めくくっていた。

それは企業におけるPDCAサイクルに似ているが、実践的専門家特有の態度ともいえる。

実践的専門家にとっては、省察=反省=振り返りこそが命なのである。

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