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2009年4月 4日 (土)

民医連の存在意義・・・柄谷行人「マルクス その可能性の中心」講談社文庫1985、阿部昭一「源流から引き継ぐもの」エイチ・エム・メディカル協同組合2004を読みながら

民医連の綱領改定案について考えようと、阿部先生の本を久しぶりに本棚から取り出した。

阿部先生は1992年から2002年まで全日本民医連会長を勤めた豪快な小児科医だった。そのころ私が参加する民医連の全国的な会議は評議員会や病院長会議だったが、そのつどの会長挨拶も型破りの面白さがあった。

山口にも一度来ていただいたことがある。誰かの失礼な質問にも「それは違うよ」と丁寧に答えておられたのをおぼえている。最近亡くなられたと聞いて寂しい思いがした。

取り出した本は、民医連の綱領の変遷についての講義録であるが、結局、主題は「民医連はなぜ存在しなければならないのか」という問題に尽きる。

とくに1960年くらい、戦後の荒廃から社会がある程度復興してきて、生活保護制度の医療も普及し、一方では国立病院の機能が高度化するという情勢の中で、「民医連が独自に存在する意義はないのではないか」という気持で、民医連のアイデンティティが大きく揺らぐあたりが興味深い。

現在もそのときに似てなくはない。

社会保障運動の定着、患者の人権運動の発展、臆せず社会に向かって発言する良心的な医師の多数の出現という現象を見ていると、特に医師層には「別に民医連に入らなくても医師としてまっとうに生きていくことはできるのではないか」、それを敷衍すると「民医連はなくても済むのではないか」というところに行き着く気持ちが生じて当然である。

もちろん、上に挙げた多くの積極的現象の基盤には民医連があるということにはすぐ気付くだろう。そもそも、そこに民医連がなくては始まらなかった市民運動は無数にある。だとしても、それは既に過ぎ去った段階だとすれば?組織のアイデンティティが永遠だということはないのではないか?

この問題を考える方法論はなんだろうか。それを探そうとして思い出したのが、柄谷行人の古い本である。

「民医連の行く末を考える時、柄谷を参照する」などというのは、諸先輩から見ればとんでもないことなのかもしれないが、アマチュアの所業として許していただきたい。

私が参考にしたのは例えば次の箇所である。

「マルクスのヘーゲル批判があるとすれば、彼がまさにヘーゲル的に語っているところにおいてである。つまり微細な差異においてであり、わずかな変更においてであって、『根本的な転倒』においてではない」 「マルクスは多くの箇所でヘーゲルを批判したが、それらはほとんど無視してよい。『読む』べきなのは彼がそう語っていないところであり、ヘーゲルと近似的な場所においてである」 (文庫22ページ)

すなわち、差異(differential)を丁寧に読み解くことから、民医連の存在意義も立証できるのではなかろうか。

まだ完成にいたっていないもの、可能性としてしか存在していないものについては、そうした小さな差異を集めて展望していくしかない、というのが柄谷の説くところである。

変わってもいない情勢を変わったと誇大に宣伝する必要はない。できてもいないことを自分たちの活動の特徴のように強弁することも避けるべきだ。もし本当に情勢が変わり、私たちの望むように私たちが行動できているのなら、すでに私たちは終わっているのである。

情勢については、一見何も変わらないと見える所で、私たちの微小な努力が起こしている微小な変化を見つけなくてはならない。

他の医療団体・医療機関との比較では、たとえば病院紹介リーフレットの文章の上で一見同じに見えるところにこそ、本当の違いを見出すように読み取るという姿勢が大事である。

振り返ってみると、30年前、似たようなことを試みた。地域にある病院一つ一つを挙げてそれぞれと、自分たちがめざすものの違いを論じていくと、新興の病院としてやっていく勇気が自然と湧いてきた。それでなんとか30年間気力を保てたといってもよい。幼稚で鼻持ちならない試みだったが、方法としては間違っていなかったのかもしれない。

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