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2009年4月27日 (月)

社会保障憲章 1961 について

民医連は、その綱領に「国と資本家の全額負担による総合的な社会保障」を掲げている。

しかし、ほぼ同じ方向の要求を掲げてもおかしくない日本共産党や京都府保険医協会・社会保障基本法研究会作成「社会基本法」(案)にはそのような要求はいっさい書かれていない。

国と資本家が無条件に社会保障費用を負担するというのは飛躍しすぎる、と考えていいだろう。

当面、資本家・大企業には特段の社会的責任を果たすべく能力に応じた負担が求められる。国は、社会保障の財源となる税金について、消費税のような逆進性の濃い税金でなく、きちんとした累進課税で国民から徴収し、それを無駄な公共企業などに使いすぎないように努力して支出することが求められるのである。

同時に、より充実した社会保障のためには、支払能力に応じて適切に設定された社会保険料や利用料を国民が負担することも決して否定されるものではないだろう。

実は、民医連もまもなく行なわれる綱領改定で、この項目を改定しようとしている。

しかし、この項目が50年以上綱領の中心として目標になり続けたのは間違いがない。50年間ほとんど誰も疑わなかったのである。

そもそも、この項目の根源はどこにあるのだろう。

突き止めると、それは民医連の綱領ができたのと同じ1961年にモスクワで開かれた世界労連の大会で決定された「社会保障憲章」である。

ちょうど手元にこの問題の権威である小川政亮先生の本がないので詳しく調べられないのだが、この憲章について、『社会保障論』(1978・有斐閣)などの著書がある横山和彦さんは

憲章は、その性格上、社会主義体制の優位を前提としたものであり、ソ連の社会保障を整備され前進しているものとし、資本主義諸国は努力しなければいけないとしている。」

と書いている(Yahoo百科事典)。

結局、当時のニセ社会主義国の規定を手本にすることをむりやり?資本主義国の労働運動に旧ソ連が押し付けたものといえるだろう。それは、言葉は美しくても資本主義国の運動の現状とはかけ離れていたものだった。

実は、私自身も、かってこの項目の説明に四苦八苦していたのである。とくに農民や自営業者の社会保障費用をどうして資本家が負担するのかという説明がうまくいかなかった。

小川政亮先生も西谷敏氏の唱えるアメリカ帝国主義と日本独占資本に苦しめられる「被害者集団」という概念を引用して賛意を示されていたくらいである。少し無理があるような気がしたが、私はこれを援用して説明していた。

結局は、社会保障の根拠は、生存権と労働権の二つにあることをしっかり認識しなくてはならないということである。労働者の生活保障の義務が資本家にあることを主張するのは労働権の上で当然だが、障害者や自営業者の人間らしい生活を保障するのは生存権である。

(しかし、生存権と労働権の間には当然深い関連があり、分けて考えられないという考え方も成り立つが、それについては、また別に考えてみたい。)

いまこそ、社会保障要求の根拠を、「社会保障憲章」のみにおくという片手落ちを改めて、きちんと日本国憲法、特に25条も根拠のひとつとして、定めなおす時が来ているのである。

*以下は補足である。

同じく民医連綱領の「働くひとびとの医療機関である」という有名な自己規定も1961年社会保障憲章中の語句である「every person who lives by his labour」からきている可能性がある。そうなれば、女性は省かれていたという解釈になり、やはり、当時の「父親が働いて妻や家族を養う」という家庭像が基本にあることになるので、現在から見て、いろんな意味で困るのである。

労働者→労働者の家族である女性や子ども・引退した労働者としての老人とその家族・労働者の家族である障害者→自営業者や農民と、労働者の権利を主張する概念は拡大できるが、保障を求めるすべての人を包含できるだろうか。

たとえできるとしても、一足飛びに、現在、社会保障を必要とする人の権利を、労働者の権利として主張するには、社会の合意がないだろう。これに対して法9条と25条に基づく、新しい福祉国家なら、みんなが納得する。

もちろん、もっとラディカルになぜ憲法25条がこの世の中に存在するのかという問題を問えば、労働者の要求と闘いが本質的根拠である。

しかし、それも現象的にはイギリスなどの戦勝国での「労働者が国家の戦争に協力する見返りとしての保障」としてスタートしたのであるから、私たちは、そのあたりの事情を十分に理解したうえで、みんなが納得できるように主張していく必要があるのだろう。

** 世界労連「社会保障憲章」と民医連綱領は、いずれも1961年だが、時期的には半年くらい前者のほうが後なので、前者の草案が相当先に世界に配布されていなければ後者に影響を当てることは無理かもしれない。とすれば、後者に影響を与えたのは、1953年にウィーンで開かれた世界労連「社会保障綱領」かもしれない。これにも、社会保障の財源は国と資本家によるべきで、労働者に負担させてはならないという項目があるので、矛盾しない。

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