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2009年4月 4日 (土)

第3インターナショナル創立1周年式典でのレーニンの演説

桜が満開の土曜日だったが、あいにく雨で、午後いっぱい私は理事長室に閉じこもって本を読んでいた。こういうとき、最良の友人はウラジーミル・イリイチである。

1920年3月6日、彼は上記の演説をしている。実に89年前のことである。

もし、西欧の無政府主義者・社会主義者の上層が排外主義者とならず、第一次世界大戦に反対していたら、戦争の早期終結とともに西欧でも革命が起こった可能性もあるとレーニンは語っている。

戦争前は無政府主義者と社会主義者は対立していた。戦争が始まって、その対立の根拠はなくなった。そのときに、それぞれの上層と下層の分裂が始まり、上層が裏切って戦争賛成に走り、戦争は長期化し、革命に転化する可能性も消えた。莫大な人命が失われた。

第一次大戦中、フランスに向かってオーストリア皇帝は和平を請うたことが戦後になって明らかになっている。その手紙が公表されて、社会党指導者アルベール・トーマは厳しい質問に直面させられた。そのとき、フランス政府に入っていた君はどういう態度を取ったのか?彼は黙って答えられなかった。

「何のために1000万人の人間が殺され、2000万人がかたわ(ママ)になったのか。」

短い演説の中でレーニンはこの質問を2度繰り返している。第一次大戦の死者に触れているのは合計3箇所である。

レーニンの原体験も結局は第一次世界大戦だった、と僕には思えてきた。彼はそれをセンチメンタルには表現しなかったが、それを咀嚼するための約5年間をクレムリンで送ったのではないか。

この演説のなかで、レーニンは、日本とアメリカの間の戦争を予測している。実際になったのは21年後だったが。

ところで、第二次大戦は、もはや世界の人々の原体験ではなくなったのだろうか?

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