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2009年3月16日 (月)

アマルティア・セン・/後藤玲子「福祉と正義」東京大学出版会、2008  荒井千暁「職場はなぜ壊れるのか」ちくま新書、2007

「福祉と正義」はやはり難しかった。後半はほとんど歯がたないという感じで、字面だけ追って読み終わった。

センが、民主主義を論じて、単に多数決ルールだけに注目して「投票する自由と集計方法の公正さ」にもっぱら関心を寄せるのでなく、相互行為としての「参加」と公共的「討議」の機会から民主主義をとらえよといっているあたりまでは、常識として理解できた。

また、後藤がセンの自由概念を解説して、①個人の利益に関して「自律」的意思決定を可能にする市民的自由、②社会的目標の設定プロセスに「参加」する政治的自由、のみでなく、③人々の生き方に関する基本的な能力(潜在能力)の豊かさを保障する福祉的自由 well-being freedom があるとするというのも要領がよくわかりやすかった。

これによって、マイケル・マーモットが健康を規定する基本的因子として、「自律、参加、ソーシャル・キャピタル」を中心においていることとの、センとの関係が良くわかった。

そのほか、人権に関して、カントに倣って「完全義務」と「不完全義務」があるというのはセンが繰り返して述べていることである。このことは、特に「権利には義務がある、近頃の人間は権利ばかり主張して」という保守的な人々が発言するのを反論するのに重要である。彼らは権利の主体と義務の主体が同じだと主張する点で根本的に誤っている。

人権については、その実現への完全義務の主体は国家であり、不完全義務の段階で国民が登場するということが彼らにはわかっていないのだ。

たとえば「健康に暮らす権利」は国民一人ひとりの侵すことのできない権利だが、それを実現する完全義務は国家にあり、国家を監視して国家にそれを守らせる不完全義務が国民にはあるということである。

ともあれ権利と義務の主体がそれぞれ違うのだということを彼らによく理解させる必要がある。

その当たりまでは良いのだが、後半はきわめて苦痛な読書になった。これからロールズの解説書などを読もうと思うので、その後には意見が変わるかもしれないが、私のような第一線の社会保障活動家がまったく理解できない本を書く、出版するということは考えものである。

荒井千暁の本は読んだことを忘れていたので掲げておいた。最初近くにあったセクハラの紹介が生なましいので読み始めたという若干品性に問題がある読書だったが、ざっと再読して、焦点がつかめない本だという印象がぬぐえない。

ただ、ホワイトカラー・イクゼンプションに反対して、仕事で「自律」と「参加」がいくら保障されても、「サポート」がなく過剰な長時間労働が一部の人に集中すれば、その人は壊れるという主張は賛同できた。というのも、荒井自身が医師としての過大な責任を背負って「燃え尽きた」のち、臨床医から産業医に転進したという経緯が隠すことなく述べられているからである。こういう率直さはよい。議論がしやすくなる。

おおよそ日本の病院においては、意欲がある医師に仕事と責任が集中する。そういう人たちは、誠実であろうとすればするほど負担が重くなっていくのである。燃え尽きないほうがおかしいが、その場合、表面的な自律と参加は十分すぎるくらいある。問題は絶対的に時間とサポートが不足するのである。

上に述べた、センやマーモットの3条件が、3条件ともそろわなければ意味がないことを教えてくれる話である。

それから、荒井が数値目標を重視する「目標による管理」は成果主義のためのものだから止めたほうがよいといっていることは、全国の生協に競って導入されている現状から見て、注目すべきことであるように思える。

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