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2009年2月 2日 (月)

柄谷行人「定本 日本近代文学の起源」岩波現代文庫、2008(初刊は2004)・・・ふたたび漱石について

年末・年始はキューバ旅行を中心にして実務的なことに明け暮れたので、読書があまり進まず、今日、ようやく上記の本を読み終えた。

柄谷行人という人物については、比較的近い時期に大江健三郎が彼を誉める文章を読みはしたものの、10年くらい前に「群像」の座談会で(貧しい生まれで生き方の真面目だった人としか言いようがない)中野孝次と口汚い「馬鹿野郎」合戦をしたり、最近では「文学界」でまったく何の意味もなく「蟹工船」にけちをつけたりしている(あるいはそういう雑誌の宣伝に鈍感でいる)ところから見て、そうとう品(しな)の悪い人だとは思っている。ただ、書いているものは面白いので、つい読んでしまうのである。そういう意味で、私にとって佐藤優やビートたけしや小林秀雄や醤油ラーメン、縁日の烏賊焼きの部類に入る人である。

*あとで気付いたのだが、件の雑誌は「群像」ではなく「文学界」だったようだ。まぁ私にとっては、どちらでもいいことであるが・・・。

さて、大岡昇平は、夏目漱石の作品の系統を論じて、「猫」のような滑稽本、「草枕」のような評論的傾向、「三四郎」「それから」「門」「こころ」「行人」のような新聞的テーマ小説と分けている。そして、漱石が求めたものは、テーマ小説群を最もつまらないものとして、これらすべてを含めてもっと遠いところにあった、彼が求めたもの、すなわち彼自身は、残された彼の作品を超えるもっと大きいものだったと論じている。これは、「小説家 夏目漱石」を読んだあとの記憶だけで書いているので、まったく正確ではなく私の中に残った印象に過ぎないが、大きくは違わないだろう。

柄谷もこの本を漱石で始めて漱石で終わらせている。漱石が自らその流れに巻き込まれて新聞小説を作りながら、最初から疑っていたのは近代文学だった。

そしてその疑いは、近代文学が、日本の近代化のなかで確立されていく、資本主義市場=経済権力、国家機構=執行権力、国民としての意識統合という三位一体的構造の本質的一部なのではないか ということだった。それは柄谷の認識と合致する。

この本の各章を構成する、「風景」も、「内面」も、「告白」も、「病気」も、「児童」も、その三位一体的支配構造のなかに個人や個人の感覚をはめ込んでしまう装置に過ぎないという主張はきわめて刺激的である。

そもそも、「自然」「風景」「個人の内面」という概念も、片方に資本主義による私有の圧倒的拡大や、国家による個人の強制が存在しない限り、生まれてこないものなのである。「病気」も「児童」も、役に立つ兵士や労働者が「健康」な「成人」として求められてはじめて、その反対概念や、前段階として制度化されたのである。

柄谷がサイードとの共通点をあとがきの中で述べるのはそういう意味で当然である。西欧が支配のために「オリエント」を発明し、中近東の人々もそれに当てはめて自己規定したように、資本主義市場や国家が支配のために「国民」という人間像を発明し、人々もそれを座標として自己像を作り上げ、そのもっとも強力な表現として文学を生み出したのである。

漱石がそういう文学を疑ったことはきわめて先駆的だった。資本・国家・国民という支配構造の確立と文学の関係を彼ほど鋭敏に感じていたものはなかった。しかし、漱石は、その一方で、文学が、その支配を乗り越えていく何ほどかの手段であることも感じていた。それは、「カーニヴァル的」と呼ばれる要素、支配を批評し異化し笑い飛ばす方向である。そこに新しい世界に向かう文学の姿があるとすれば、「明暗」を未完に終わらせず、もっと長生きした漱石は、壮大な新しい「猫」を書き上げた可能性がある。このことは、彼の本の結論である「『明暗』の結末について」という文章で大岡さんも述べていたことである。

というわけで、最近、柄谷が書き続けている「倫理21」や「世界共和国へ」という分かりやすい本と同じ主題がこの本でも述べられていたのだった。それらの本を面白いと思った人はぜひ、この文庫本も手に取ったほうがよいだろう。

慣れない旅行で変調を来たしていた私も、おかげで、小説などを読むのが面白いと思うほどに回復してきた気がする。

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