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2009年1月28日 (水)

大岡昇平「小説家 夏目漱石」ちくま学芸文庫1992(初刊は1988)を読む

何の気なしに読み始めた本がとても面白かった。

著者最晩年の本で、死亡翌年1989年の読売文学賞も受け、創刊されたばかりのちくま学芸文庫に#1で取り上げられているので、有名な本だったのだろう。不覚にもまったく知らずにいた。

私自身の夏目漱石に対する関心自体が、数年前から読み始めた小森陽一や柄谷行人の評論によるので、それ以前に「夏目漱石」の標題を見ても無視していたものと思える。

大岡氏が、母校にもあたる成城大学で行なった「外国文学」の講義記録を基にできあがった本である。

「外国文学」で漱石を扱うということが一見奇妙だが、「国民作家・漱石に影響を与えた外国文学」という問題意識であれば、「日本人が学ぶ外国文学」という講義では、これ以上にない適切なテーマだろう。

大岡さんの結論は以下の3点に尽きるだろう。

①「現在の私には彼の作品と人物から学ぶべきものは何もない」(補説)。

②だが、「病躯をかって西欧と日本の間を疾走して、死んでしまった、類い稀な文学的現象として、漱石の生涯は感動的」だ。(「明暗」の結末について)

③「漱石はその作品や、『則天去私』の哲学より一廻り大きい存在である。彼の作品には謎はないが、作者自身には謎がある」(序説)

私自身は、「三四郎」に出てくる「迷羊 (ストレイ・シープ)」が、「九十九匹と一匹」を論じた新約聖書によるのでなく、旧約の「わが民は迷える羊の群なり」から由来していて、ここでは「社会の外での恋愛」を表現する言葉であり、また最後に美禰子さんが言う「わが罪は常にわが前にあり」という言葉が、捨て去る三四郎への詫びなのだということをはじめて知って有益だった。

そして、他人の妻になった美禰子をなんとしても取り戻そうとした物語が「それから」であり、取り戻したあとが「門」であるという三部作になっていることも実は初めて知った。

そもそもいずれも十代の頃の読書であり、小説を読む力量もまったくなかったのだから仕方がないと思う。いまさら漱石を読み直そうなどと思っていないので、大岡さんから、こうして解説してもらったことがとてもありがたかったという気がする。

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