ハバナで考えたこと・・・キューバの医療機関見学後、「Fidel & Religion」 Frei Betto を読み始める
わずかに実質3日間のキューバ医療見学を終えて昨日帰ってきた。
ハバナは、スペイン植民地だった頃の旧市街とアメリカのリゾート地だった頃の新市街からなっている。いずれもけばけばしい色彩であったものが古びて朽ちていく過程にあるのを修理を繰り返して使っている様子である。
それを中国製らしいバスから眺めながら、ワクチン研究所、熱帯感染症研究所、病院ー総合診療所(ポリクリニコ)ー末端診療所からなる医療単位の一組、いま話題のラテンアメリカ医科大学、眼科専門病院を駆け足で巡って見学した。
駐日キューバ大使の特別の計らいがあったので、保健省の幹部医師が同行してくれ、各施設でもトップに近い人たちから直接説明を聞くことができた。
その分、現場の人々や、患者さん、学生との交流は難しくなった。
そもそも「日本と比べようもないほど貧しい国なのに、どうして日本に迫るような高い健康指標を獲得しえたのだろうか」というのが私のこの旅行への参加理由だった。
私の事前の見当では、50年にわたる革命政府の政治が社会から格差を減らしたことが主たる理由であるように思えていた。
社会内部の格差は、大きく言って所有・教育・医療・身分の不平等で生まれるものである。
医療へのアクセスをフリーにすることは、それだけでも平等で、個人の自発性を尊重する社会を作り、格差をなくす方向に大きく働いたはずである。
そのさい医療技術の水準は、ある程度以上に達していれば、感染症予防の効果を除けば、意外に健康指標に対して大きな意味を持っていないのでないか。それは日本の医療レベルと国民の健康の関係でも同じだ、という風に私は考えていた。
そして、社会内部の格差が急速に拡大し、人々の自発性や社会参加を抑圧する傾向が極端に強まっている日本社会が、おそらくこれから健康指標世界一という位置からたやすく滑り落ちていくことが、キューバ社会との対比のなかではっきりと見えてくるはずだ、と思って出かけたのだった。
したがって、私が見たかったのはキューバの社会であり、キューバ医療ではなかったのかもしれない。しかし、社会を見るというような贅沢は許されない立場なので、わずか3日間の医療施設見学で我慢せざるをえなかったわけである。
それでも実際に見学してみると、医療機材は乏しいもののキューバの医療制度はよく考えられたシステムで動いており、このシステム自体が国民の平等感に寄与しているということが十分考えられた。
また、ヴェネズエラのチャベス大統領が同国で始めた識字運動の中から白内障手術の必要を気付いたことから始まる、ラテンアメリカ全体を対象にした眼科医療への特別な重視については、医療ニーズを掬い取る政治家の鋭敏な感覚が感じられた。それは医師の毎日の仕事から出てくる発想とは別の次元の話である。政治家は医師の仕事の舞台を準備するのである。
一方、街は一見して200万都市全体がスラムに見えるが、よく見れば比較的清潔でホームレスや物乞いの人はまったく見かけず(ただし、アメリカへの亡命者が残していったという野犬は多かった)、安いみやげ物を売るフリーマーケットにおいても人々はきわめて控え目な商売に徹して親切であり、危険を感じることがなかった。それは、ラテンアメリカのいい加減さというよくある偏見とは無縁で、安心して暮らしている人たちの余裕というものだったろう。
結局、考え抜かれたフリーアクセスの医療制度は、その医療行為のレベルにかかわらず、平等な社会の必須条件の一つであり、逆にそういう社会をめざさなければそのような医療制度を作りえないということだけは、キューバについて誰も否定できなことに思えた。
そう思えたことが、今回の見学の最大の収穫である。
そして、キューバと対照的に、日本は、国民皆保険という優れた医療制度を急速に失う過程の中にあり、そのことが格差の少ない社会の破壊を加速しているということも確実である。その原因は格差のない社会という目標を捨て去った政治にこそある。
医療技術の水準がどれほど健康指標に関与しているかは結局よく分からないが、最高の医療技術水準を誇りながら、相当劣った健康指標に甘んじているアメリカに見るように、やはり副次的な問題ではないかという事前の考えは変わらなかった。
もちろん、医師は最新の知識・技術の獲得に日々全力で取り組み、医療技術の水準を向上させることが社会的使命だが、、それにより医師が直接救える人は常に限定されていることは自覚しておいたほうがよいだろう。医師の価値観の中のpriorityの問題である。
ところで、上記の標題はもちろん堀田善衛の「インドで考えたこと」の物まねである。椎名誠も「インドでワシも考えた」という本を書いていたけど。
そういう表題にしたかったのは同じく堀田善衛の「キューバ紀行」岩波新書1966が、まさに15歳頃の私の第一の愛読書だったからである。そのころ、フィデル・カストロの演説を真似た小説らしいものを書いたことがある。
見学から帰って改めて本棚からその本を取り出すと、40年前の堀田さんはキューバのあちこちにいき、国民詩人ニコラス・ギリエンに会い、フィデル・カストロの演説を聞いている。まことにうらやましい話ではあるが、その旅行を通して、彼がずっと尊んできたヨーロッパの芸術の経済的基礎を生み出した悲惨な台所としてのキューバを理解し、そこから人々が抜け出すほかはなく、誰か個人の魅力で成功したのでは決してありえなかったこととして革命を理解している。
しかし、私としてはフィデル・カストロの思想をもっとよく知らなければならない。
ハバナの空港に平積みされていた「Fidel & Religion」 Frei Betto を買ってきたので、ぼちぼちと読み始めることにした。著者はブラジルの軍政による圧制と闘い、ニカラグアの革命にも関わった活動的・革新的な神父であるが、カストロの中にも共産主義とキリスト教の結合があるのではないかと考えているようである。
中南米の革命の成功の背景に、土俗宗教と融合したカソリックが作り出す共同体性があるとすれば、それはそれなりに面白い話だが、あまり、早飲み込みしないで、ゆっくり読んでみようと思う。
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