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2008年12月 8日 (月)

「冷静であること」への強迫的な執着:冷静を誇示する人間を見たら、上昇志向を隠さない下衆と思ったほうがよい

引き続き、サー・マイケル・マーモットさんの「格差症候群」の読書記録である。

118ページ。

レオン・ダッシュというひとが、ワシントンDCの下層階級の観察を続けている。彼によるとアメリカの下層階級にあって若い黒人をとらえる強迫観念があり、それは、「けんかの最中にも冷静でいる」がなにより必要ということなのである。「冷静であること」がかっこよさのすべてであり、彼らがもっとも大切にする誇りと威厳の具体的姿なのである。

弱い相手を打ちのめしながら全く無表情でいること、人を射殺しながら眉一つ動かさないこそ「冷静」の証である。「冷静」は自分自身の周囲に高く築く城砦のようなものである。

しかし、これは、犯罪率、殺人率の異常に高いアメリカ黒人貧困社会だけの価値観なのだろうか。

日本人の比較的裕福な勤労者層にも共通する価値観ではないだろうか。そこでも、どんな苦境にあっても冷静を装うことが、かっこよさの象徴になっている。

おそらく格差の大きい社会の、不満に満ちた上昇志向の強い男性がとらわれる偏向した価値観、強迫観念が「冷静」である。

そこで、私の結論:冷静を誇示する人間を見たら、上昇志向を隠さない下衆と思ったほうがよい。かれらは、ワシントンDCの貧困な少年からどれほども離れていない。彼らにとって、自分が他人からどう見られるかがすべてであり、おそらく殺人もそのためには辞さない本質を隠し持っているからである。

誤解の無いように言い添えれば、「自然な、そして価値のある冷静さ」というものはもちろんある。しかし、それは、ここでの文脈では、「冷静」という言葉にはあたらず、「穏やかさ」であったり、「ユーモア」であったり、「寛容」であるということなのである。

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