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2008年12月 6日 (土)

加藤周一さんが亡くなった ・・・12月7日朝日新聞・大江さんの文章にもふれて

12月6日、土曜日の朝の小さな集会に出て挨拶した後、病院の自室に帰って朝刊を広げると、前日の加藤周一さんの死亡を告げる記事を一面に見つけた。

今年の3月8日、渋谷公会堂(ccレモンホール)での九条の会の講演会で見たのが私にとって加藤周一の最後の姿になった。

高校生のとき、岩波新書「羊の歌」を読んで以来、ずっと加藤さんが書くものを読んできた。背伸びして読んでいた朝日ジャーナルと一緒に「羊の歌」を買って帰ったときのことをまだ覚えている。

この人と同時代人であったこと、ほんの数回でも直接に会話ができたことが、私の冴えない人生のわずかな輝きである。

*12月8日追記

12月7日の朝日新聞には、加藤さんの死を悼む大江健三郎さんの文章が載り、井上ひさしさんの談話が寄せられていた。

大江さんの文章を読むと、大江さんが最後に加藤さんに会ったのは、私と同じく、3月8日の渋谷公会堂(ccレモンホール)での小田 実さんを偲ぶための9条の会講演会のようだ。

このブログにも3月14日付でそのことを書いているが、私は、横浜で開かれた全日本民医連38回総会の帰りに寄ったのである。

そのときの加藤さんの発言を、大江さんが改めて紹介している。加藤さんは、最後に近いこの講演会でも論旨明快に語ったので、大江さんの理解にも私の理解にもほとんど違いはない。それでも若干のニュアンスの違いはある。

私の心覚えのため、私が3月14日に書いたことを、(少し文意が明確になるよう改めて)再録しておくことにする。・・・・

「加藤周一さんが触れたのは、べ平連運動と阪神大震災後の被災者救援法制定運動という小田 実の二つの大きな仕事についてである。

(第2次大戦のような)始まってしまった帝国主義的国家間戦争や、突如起こった大地震は、人の力で止めることなどできない。

しかし、その被害者を救うことはできることを示したのが、阪神大震災の被害者救済に全力で挑んだのが小田である、と加藤さんはまずはじめに言った。

それは誰も否定することのできない彼の業績である。

それだけではなく、20世紀後半の戦争形態の主流となった(ベトナム戦争を典型とする)なし崩し的に拡大する戦争にどう立ち向かうかが本当は大切なことだ。

その萌芽から注意深く追っていけば、市民の声で止めることができる瞬間がどこかで来る、しかし、そこを逃せば、第2次大戦のように止められないものになる。

その貴重な瞬間を見逃さないという姿勢こそ、まさに小田 実から私たちが引き継がなくてはならないものだと、加藤さんは強調した。」

・・・・

** 大江健三郎ファンクラブのメーリングリストで、この集いの映像があることを教えてもらった。そこには加藤さんの話の全部が収録されている。http://www.eizoudocument.com/0116oda.html

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