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2008年12月24日 (水)

町医者の勉強:「誰も教えてくれなかった診断学」野口善令先生講演会(山口県保険医協会)

これまでは、医療倫理、医師患者間コミュニケーション、公費負担医療制度利用の診断書の書きかた、零細企業労働者の職業病など、いずれもきわめて重要だが、一般の医師の意識の中では周辺部分に位置づけられる課題を扱うことの多かった山口県保険医協会の学習会として診療のコア部分にあたる診断学に踏み込んだ学習会を初めて企画した。

「何でも診て、どんな問題でも患者を援助できる町医者の仕事の構造と機能」という問題をずっと考えてきて、そろそろ「診断と治療のあり方」に踏み込まずにはいられなくなったからである。

実は、「町医者の治療論」については、以前、TIPの編集長別府宏圀先生にお願いして、ごく早期にEBMの学習会を開いたことがある。山口県ではEBMという言葉がまだほとんど知られていなかった時期に、イギリスの国家プロジェクト「コクラン」の利用法を教えてもらった。

そのときはパソコンを使って世界標準の治療法を同時並行で検索して日常診療を進めるという話を魔法のように思ったものだった。しかし、実際に蓄えられているエビデンスは、普通の医師が求めるものよりずっと少なく、コクランもそれほど役に立つものでないことが、かなりお金を使ったあとに分かった。その上、厚生労働省側が、医療内容を制限するという方向でEBMという用語を使い始めた。EBMの形骸化である。結局、uptodateというアメリカの電子教科書を使いこなすよう努力すれば、「町医者の治療」も標準化できるというあたりに、治療の課題は落ち着いて、当面、新しい方法論のブレークスルーはないようなのである。強いてあげれば夏井先生の「新しい創傷治療」あたりが面白い話題だが、方法論を探求する私にとってはマイナーなことである。(もし、そうでなければ、すなわち、「新しい創傷治療」が創傷治療を題材にした、普遍的な方法論を指向したものであるのだったら、夏井先生ごめんなさい)

そこで、診断学だが、合理的な診断判断はどういう過程でなされるべきかということが研究されているらしい。それは人間の認識や学習という心理学的問題を医師の診断行為に応用しているのでもあるらしい。

それは私から言えば「診断の弁証法」である。

まず、診断は①分析的かつ系統的診断と②パターン認識による診断に分類される。

①は症状にあわせてⅰ)生命や永続的機能に関わる重大な疾患 ⅱ)もっとも頻度の高い疾患 と分けて、それぞれ系統的に想起して、各々にyes,noを可能な限りはっきりと決めていく。

系統的想起が、どの医師にも標準化されるよう、統計に基づいて、教科書も作られている(たとえば「ERの哲人」

山中克郎 岩田充永 澤田覚志
:シービーアール :2006
など)。

このタイプの診断を繰り返して、かつ必ずその正否を事後確認(これを教師あり診断と呼ぶ)していると、やがて②のパターン認識診断が形成されていく。パターン認識による診断とは、スナップ診断という名前もついているように、患者を一目見て、二三言、話を交わせば、いくつかのキー所見の組み合わせがあることが認識されて、直ちに診断がつくというものである。パターン形成は、もっぱら成功経験の積み重ねによるもので、それには成功を確認してくれる教師が必要であるという特徴がある。

*ウイルス性の感冒に抗生物質を処方しても、いつのまにか自然治癒して問題がなかったという経験は偽成功経験で、これが積み重なって出来上がるのは偽パターン認識診断である。パターン認識診断の一つの陥穽=落とし穴である

これは、臨床検査の事前確率を高めるということでもある。(すなわち、同じ名前の診断を下しても各医師の経歴により事前確率は違うということになる)

事前確率に、各臨床検査ごとのもっともらしさを掛けて事後確率が求められる。それが診断正否の確率である。パターン認識診断による事前確率が十分高いときには、検査の意味はほとんどなくなる。医療費も安くなる。

しかし②パターン認識が働かない、間違えるというときがある。そのときは医者の胸中にはなにかしら「いつもとは違う」という違和感があるはずで、その違和感があれば①の分析的・系統的診断に立ち返らなければならない。

*ここでパターン認識を押し通す医者が危険な医者である。

この繰り返しがラセン的発展という意味で弁証法なのである。

いつものように前置きが長くなった。

そういうことを、私は野口先生の本で学んで、「町医者としての診断学」のブレークスルーがここにあると思って、彼の講演会を企画した訳である。

野口善令先生は、私より6学年下の1982年卒の人だが、大学医局には属さず、自力でハーバードの公衆衛生院、NYのベス・イスラエル病院のレジデント、京都大学総合診療部勤務というキャリア形成を遂行して、現在は名古屋第二赤十字病院でERを主宰している。全国からたくさんの研修医が彼の教育を求めてこの病院にやってくるという、まさに「旬の医師」といってよい人である。

*わたしはこういう人に会うと、自分がなぜそうなれなかったのだろうと思うことがある。マイケル・マーモット「格差症候群」を読み終えた今では、結論は簡単である。それは①私が貧しい医学生であり、キャリヤアップより生活することが優先した(・・・こんなことを言えば、貧しい教員だった田舎の父親や、学校の給食婦をして私の学費を負担してくれた墓の下の母親は泣くかもしれないが)が主な理由であり、ついでに言えば②政治信条のため、将来の患者の治療や後輩の教育より、目の前の医療問題の解決に直接あたりたいという気持ちが強かったということもある.

講演会はシニア向けとジュニア向けと2日2回に分けて開いた。

22日のシニア向けは新山口駅前の例の古いホテルで開いたが午後7時30分開会だった上、とくべつ寒い日で、申し込みの半分の人しか参加がなかった。講演後の質疑でも、発言がまったくなく司会の私がぶつぶつ呟くのに野口先生が答えるという悪いパターンになってしまった。しかし、あとで聞いてみると、40歳代の医師が数人、ものすごい勢いでノートを取っていたらしく、アンケートでも彼らの満足度は高かったのである。後日、このことに私が愚痴をこぼすと「その年代の人はそんなものだ、受け取ることには貪欲でも、自己主張はしない世代だ」と友人の誰かが言った。本当だろうか?

23日ジュニア向けは、22日よりすこし格式の高いホテルで、午前中に開いた。これには、ベテラン医師、大学の研修指導医、研修医、医学部高学年の学生がバランスよく参加して、テーブルを6個用意してのワークショップ形式で行なったので盛り上がりも十分だった。


講演会の成功を受けて、いよいよ、勉強熱心な開業医+勤務医+医学生で構成する、「カンファレンス+メーリングリスト形式の『町医者の診療』研究会」に向けて構想を進めたいと思っている。これは広島の故田坂佳千先生の活動をモデルとしている。 といっても、田坂先生のような経験が深い人、中心になる人がいないのが悩みである。

それはそれとして、これで、私の保険医協会や民医連を足場にしたプロモーターとしての今年の仕事は終わりである。忙しいが充実した年だった。いろいろ助けてくれた事務局の皆さんにお礼が言いたい。

あとは、11月にきてくれた本田 宏先生から頼まれた「医師を増やせ」署名を、山口でも広がるように大学病院院長や、県医師会会長に会う仕事が残っている。すでに約束が取れている。しかし、その成否は、相手の見識と度量で決まることで、私が格別努力して熱弁をふるう必要もないので、さっさと済ませてしまうつもりである。長老たちは自分の話をするのが忙しい。私の話など聞く気はないのだから、私としては、良い聞き手になる姿勢さえあればいいのである。

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