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2008年11月 4日 (火)

本田宏講演会の宣伝―ピカソ展(サントリー美術館)-健診に関する会議―小森陽一講演会

10月31日金曜日から11月3日月曜日まで非日常的なスケジュールが続き、なんだか気分が変になった。外見的には格別に事件のない静かな日の連続ではあったが、私にはやはり診療による日常的疲労が必要なのだと思う。

①31日午後は、山口県保険医協会の事務局員N君の急な依頼で、山陽小野田市・宇部市の7つの病院を駆け足で訪問して11月23日の本田宏先生講演会の宣伝に努めた。

最初がいけなかった。山陽小野田市の市立病院で事務長にポスターを渡して帰ろうと思ったら「局長がお話を聞きたいとおっしゃっています」という運びになり、大先輩のK先生に捕まった!K先生は教授・大学付属病院長のあと、裁判官上がりの市長に懇願されてこの街の病院を建て直すという目的で市の病院局長になっている。気さくな人ではあるが、こういう偉い人と話すのは苦手だ。私にも悪い癖があり、目上の人と話すと空気を読まず必ず何か反論してしまう。発音・滑舌が悪いのでたいていは気づかれずに終わるが、K先生はすかさず再反論してくる。30分も局長室で過ごしてしまった。あとで大学病院事情に詳しいT元助教授にそのことを話すと「あの人は反応が特別早いんですよ」とのこと。

そういえば、病院を回っている最中にN君の携帯が鳴り、K先生がすぐに講演会に賛同のファックスを送っていただいたとの報が保険医協会事務局からあり、勇気百倍となったのだった。

何軒目かにメモリアル病院に寄る。私より10数年若い外科のK先生に会うためだ。「えッ、でも本田先生来てくれますかね?」「いや、来るのは決まったんだよ」「わぁ、それはすごい、集会の挨拶でも何でもしますよ」これほど気持ちのいい若手に出会うことは珍しい。ここでも励まされて次に廻る。

病院回りの最後は、旧海軍病院。山田洋次さんが大陸から山口に引き上げてきて、そのころは連合軍に接収されていたこの病院で汚物処理のアルバイトをしていたときに寅さんの原型になる小父さんに出会ったのだった。最近は山口宇部医療センターという、空港と間違えやすい名前に変わっている。窓の外に周防灘が大きく広がる応接室に通され、副院長のS君に簡単に説明する。私の病院には応接室などないうえ、過去に見たこともないほど豪華でかつ景色が良い部屋だったので、S君の隙を狙って携帯で写真を撮った。外に出るとすっかり日が暮れていた。

②翌11月1日は東京に出かけた。会議まで間があるので国立新美術館近くのミッドタウン内にあるサントリー美術館に、もう一つのピカソ展を見に行った。ミッドタウンは豪華すぎる建物である。人はたくさんいても人の気配を感じないような無機質の豪華さ。なんだかハンマースホイの絵に似ている。この商業主義的な豪華さとピカソの「魂の肖像」がどこでどう結びつくのかを不思議に思いながら、自画像という視点からの展示自体は興味深く見た。

国立新美術館の展示と合わせてみると、難しく思っていたピカソがなんだかわかってきたような気がするので、こういう企画はありがたい気がする。ほとんどポルノに近い一枚への見物客の反応を見ているのも面白かったのだが。夜は神保町の中華料理屋さんに行った。ここで危うく上海蟹を食べてしまい気道狭窄を生じるところだったが、友人に救われたのだった。まぁ、蟹を食べてもらったというだけのことではあるのだが。

③2日の会議は、保健予防活動に関する会議で、深刻な気分になった。今のような健診の停滞が、病院にとってどういう意味を持つのかが見えてきたからである。それは地域から病院が離れていくことであり、住民との関係が断ち切られることである。その解決策が、少なくとも会議の中では見えてこなかった。このときの気持ちが、この4日間全体の色合いを決めてしまったのである。夜、宇部に帰る。飛行機は空いている。

③重い気持ちを引きずりながら山口大学の大学会館に行く。「山口大学関係者有志・九条の会」の呼びかけ人にされてしまっていたからだ。呼びかけ人の会議の後、小森陽一氏の講演会がある。同氏の話を聞くのは、渋谷公会堂で彼が司会をしていたのを含めれば4回目になる。

着いてみると呼びかけ人の会議はほとんど終わりかけていた。「32年間も大学病院の影響と戦ってきて、いまさら大学の名を冠した会に加わる気はあまりなかった・・・」などとわけのわからない自己紹介をしたら笑われたが、「まぁ弁当を食べていってください」と勧められた。たいていの人が帰ったあと遠慮なくいただくことにしたが、やはりそれから弁当を食べ始めた小森氏と二人きりになった。

こういう時、何か話さないといけないと思うのが主催者側の弱みで、軽い話題として「村上春樹論」の中で一貫して高松と松山を間違えたのはもう直したかと聞いてみた。

「直しましたよ。編集者の単純な校正のミスです」という答えだったのだが、医療ミス防止の実践者としては、こういうときも、より深いヒューマンファクターを指摘する必要がある。

「いや、単純ミスではなくて、あなたが漱石の研究者だからだろう」とかぶせてしまったのは良くなかった。明らかに小森氏の機嫌が悪くなった。

しかし、それは気にせず、さらに、「僕は長く民医連にいるような立場なのにもかかわらず、柄谷行人が面白い気がしているのだが、あなたとはどういう関係?」と聞いてみた。

「どういう関係って・・・十数年来のつきあいですよ。」・・・・「この業界に入ったときは、ほとんど彼の一派だと思われていたのだけど」 「ああ、柄谷派というのあるのですか」「・・・・」

「確か、一緒に会を作っていましたよね(NAMの会のつもり)」・・・「ええ」・・・「今はどうなんです?」・・・「・・・」

「考え方は全然違う?」・・・・「・・・いや、ほぼ同じですよ」

このあたりで小森氏の忍耐も切れたようだった。失礼とも言わず外に行ってしまった。悪いことをしてしまった。それもこれも昨日の会議が私にとって重すぎたからだ。それにしても主催者側の人間が講演前の講師の気分を悪くさせてどうするのだろう。

心配していたのだが、講演は面白かった。民医連のことにも少し触れてくれていた。新聞に載る程度の情報を詳細にチェックしていけば、なにも特殊な情報ソースをも持たなくても、情勢の真実が見えてくるというのはチョムスキーの努力に倣ったことだろう。私も真似事は少ししているが、引き続きがんばらなければという気がして励まされた。

それにしても、小森氏のあの面白すぎる情勢分析は、彼一人の力ではないだろう、おそらく渡辺治さんや後藤道夫さんたちとの集団的な討議が背景にあるのではないだろうか。そう思うと、そういう仲間もいなくて、一人でコツコツやっている自分がすこしかわいそうになって、小森氏への無礼な態度も許せるかな、と勝手に都合よく考え始めたのだった。

*その後、ある人のブログ(http://blog.livedoor.jp/jcpblackpanther/archives/51078959.html)を読んでいたら、AIG(アリコなど)が救済された理由は米軍の生命保険担当会社であったからという情報は、9条の会での品川正治ー小森陽一対談での、品川さんの発言からだったようだ。渡辺治さんの分析ではなかったわけだが、品川さんが言うなら間違いのないことだろう。

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