« 柄谷行人「定本近代文学の起源」岩波現代文庫、2008と「文学界」2008年10月号「蟹工船」をめぐる座談会 | トップページ | 地域単位で捉えられる治療能力・・・たとえば重症胆道感染症を引き受ける難しさ »

2008年10月21日 (火)

高田三郎/吉野 弘・・・合唱組曲「心の四季」・・・当直の夜

木曜から土曜まで2泊3日の出張のあと、日曜日には内視鏡健診を引き受けて、月曜の夜が当直。当然火曜は普通の仕事。

しかし、日曜の昼間に偶然の行きがかりで主治医を引き受けた94歳の女性が、実は超重症。大学病院に移動することもままならないので、大学病院の担当チームに機材持参での特殊治療に来てもらえるよう交渉。

これが月曜の半日かかった。結局、「翌火曜に行きます」という約束が取れたが、それまで病状を維持できるかどうかが予測不能、かつ、処置中の死亡もありうるので、家族への説明内容は複雑を極める。「何歳になってもできる限りのことをしてほしい」というご家族の姿勢はそれはそれなりに気持ちがいいのではあるが。

月曜の一晩が乗り越えられず悪い結果に終わって、手遅れのそしりを受けるとき、それは僕が悪いのか、地域の貧困な医療体制が悪いのか、治療に必要な資源を持たないこの病院に固執し指名した家族側が悪いのか。

火曜の特殊処置自体は成功したので、紛争にならないことを祈ろう。

当直も大変忙しかった。眠れない。

ということで、その間の僕の心を支えてくれたのは、標題の高田三郎作曲、吉野 弘作詞の合唱曲である。特に「雪の日に」。

吉野 弘のこの詩は僕にはとても懐かしいもので、急に36年の昔に引きもどされたかのような気がした。

中学や高校の国語で習った日本の近代詩も面白かったが、自分で詩を書いてみたいと思ったのは、小林秀雄訳のランボー「地獄の季節」(岩波文庫)を読んだのがきっかけだった。詩は小林訳のランボーを模倣し、小説は大江健三郎の初期作品を模倣して僕の高校生時代が過ぎた。当時、そういう少年は全国に無数にいた。

吉野 弘を知ったのは大学に入った直後で、その後4年間は吉野 弘と黒田三郎の模倣が続いた。それからアラゴンやエリュアールの抵抗詩の翻訳そっくりのものを作って30歳になった。

40歳を過ぎると、なぜか石垣りんや茨木のり子風の物を書いた。そのあたりで詩の実作に対する興味は終わった。結局物にならなかったが、だんだんと、分りやすい平明なものに傾いているのが自分でも面白い。

きっと人格が透明になっていったのだろう(?)

さて、この合唱曲に支えられて当直前後のハードスケジュールをこなしたかのように書いたが、それも、午後の遅い時間に受診したある中年女性の出現で、限界が露呈した。

検査結果の説明を求めるのはいい。しかし、「一つはアルコールの影響も」→「私は酒なんか飲まんがね」、「さらに薬の影響である場合も」→「薬なんか服まんがね」、「説明のつかない体質であることも」→「医者が説明付かないということはなかろう」・・・ここで、私の、格別低くなっていた怒りの閾値が乗り越えられる。「こちらの言うことを全部聞いてくださいよ!!聞けないのなら、ここに来なければいいじゃないか!」「だけど、患者としては心配よぉ」「心配だったら何故私の話が聞けないんです!?」

・・・僕の医者とも思えない言葉に格別反応もせず中年女性は去った。怒りにまみれた私だけが取り残された。これは虚しい。

あとは反省の連続である。

どこまでも、ポーカーフェース、医者はそうじゃないとだめだ。

|

« 柄谷行人「定本近代文学の起源」岩波現代文庫、2008と「文学界」2008年10月号「蟹工船」をめぐる座談会 | トップページ | 地域単位で捉えられる治療能力・・・たとえば重症胆道感染症を引き受ける難しさ »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 高田三郎/吉野 弘・・・合唱組曲「心の四季」・・・当直の夜:

« 柄谷行人「定本近代文学の起源」岩波現代文庫、2008と「文学界」2008年10月号「蟹工船」をめぐる座談会 | トップページ | 地域単位で捉えられる治療能力・・・たとえば重症胆道感染症を引き受ける難しさ »