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2008年10月 8日 (水)

平等論「自然の贈り物」・・・不破哲三「古典への招待」中巻2008新日本出版社

加藤周一さんが、1970年代にベルリン自由大学に招かれて当時流行していた新マルクス主義にかぶれた人たちと話してみると、彼らはさかんにゲバラや毛沢東の話をするが、誰一人としてマルクスの本を実際には読んでいないのに驚いたということを書いている。(「過客問答」かもがわ出版、2001.「世界の大学で」P104)

そのとき、加藤さんがとりあえずこれを読んでみたらと薦めた本は「賃労働と資本」、「フォイエルバッハ論」「ドイッチェ・イデオロギー」、「フランスにおける階級闘争」だった。

その話を読んで、私自身は、「フランスにおける階級闘争」がどんな本だったか思い出せないことに気付いた。それだけでなくフランスの錯綜する歴史についてほとんど理解していないのだった。ウォーラーステインが1848年と1968年を真の革命の年として重要視しているのは知っていても、1848年にどういうことが起こったかよく分からないでいるのだった。これでは私もベルリンの新マルクス主義者と大差ない。

そこで改めて「フランスにおける階級闘争」や「フランスにおける内乱」を歴史と関連付けて読みなおしてみようという気になった。

この2著作はすでに20歳台に読んでいたし、全集を引っ張り出すとたくさん赤線も引いていたが、改めて読み直すと、まったく新しい本と同じである。

そういうとき、たまたま雑誌「」10月号に連載されている不破哲三さんの講座「マルクス・エンゲルス革命論研究」第3回を読んだ。ちょうど1848年の革命やそれに続くナポレオン3世のなんとも不思議な権力掌握過程が分かりやすく説明されていて、初めてこの時代が少し分かった気がした。「フランスにおける階級闘争」や「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」はこの基礎知識があれば読めそうだった。

要するに、こういう解説本なしに上記の著作にそのままかじりついたって歯が立つわけがないという気がした。これは、「資本論」を何度も行きつ戻りつして読んだときに持った感想とまったく同じである。

そこで不破哲三「古典への招待」中巻2008新日本出版社を注文して、これを参考に「フランスにおける内乱」に挑戦しなおそうと考えたわけである。

届いた本を読んでみると、不破さんもパリ・コミューンの解説にはお手上げだったことが分かる。詳しくは大仏次郎「パリ燃ゆ」(1961~64)を参考にしろと書いてある。なんと言う率直さだろうか。赤旗まつりの講演をきいて眼かウロコが落ちたり、株について論じながら株券を一度も見たことがないと言ってはばからない志位さんと良い勝負である。

前置きが長くなった。

今日書きたかったのはその話ではない。

実は、今朝起きてシャワーを浴びていると、ふと気になる言葉を思い出したのである。

それは「自然の贈り物」という言葉だった。

《先天的な能力の差なんて自然の贈り物に過ぎないのだから、その差でもって社会的な待遇を変えることなどありえない、すなわち能力の高いものが高い給料を得て当たり前だなどという主張をはなから問題にしない社会がある》という話である。

それは岐阜大の竹内章郎さんたちの平等論から学びつつ、まだ十分に確信がもてなかった私に、平等についてのある実感を与えてくれる言葉だった。

もし高い能力を持っている人がいるとしたら、その人は高い能力によって仕事を楽しむことができることについて感謝すればよいだけで、それによる特別待遇を求める理由はどこにもないということである。

そもそも個人的な高い能力というものがあること自体が疑わしい。そう見えているとしても、すべての労働や作業や生活は多くの人の協業として行なわれているのである。

自転車で病院に行きながら、この言葉をどこで読んだのか思い出せなくて、少しいらついた。あれこれ読み散らして、何がどこに書いてあったか分からなくなることが最近多い自分に腹が立ったのであった。

病院の自分の本棚をいろいろ探して見つからず、読みさしの「古典への招待」を開くと、あった。

「ゴータ綱領批判」の解説の中で、19世紀の空想的社会主義者エティエンヌ・カベーの架空紀行「イカリア共和国旅行記」(1840)が紹介されている。その中に

「この共和国では、生活のあらゆる部面で、すべての市民が同じ質・量の物資とサービスを保証される一方、各人が提供する労働の質・量の違いについては、『すべては結局は自然の贈り物』だから、それを分配上の差別にする必要はない、と軽く一蹴している」

という一文がある。これは分配の問題を生産よりも過大視して、未来の社会主義社会を、「労働に応じて分配する」社会主義と「必要に応じて分配する」共産主義の2段階に無理やり分けたレーニンへの批判にもなっているところである。わざわざ2段階に考える必要はない。最初から、社会の生産力の許す範囲で必要に応じて分配すればいいのである。そもそも分配の問題を第一に考えなければ、そういうところに迷い込むことはない。

というわけで、寄り道、寄り道の連続で、私の日々は過ぎていくのであった。

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