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2008年10月14日 (火)

佐藤優(さとうまさる)「国家論」NHKブックス2007と不破哲三「マルクス、エンゲルス革命論研究」雑誌「」2008年10月号

実は佐藤優(さとうまさる)「国家論」NHKブックス、2007は相当前に読んでいたのである。しかし、宇野弘蔵(*当初、野上弥生子の晩年の恋人として、と書いたのは私の誤りだった。それは田辺元のことだった。宇野弘蔵は随筆集「花」の登場人物に過ぎない・・・dementiaの始まりということで許していただこう)や、柄谷行人の焼き直し、またあまり理解できないキリスト教神学の話が多い内容のため、何かを書こうと思わないできたのである。

とくにP192で、官僚を資本家・労働者・地主と並ぶ4大階級の一つと位置づけているところが違和感が強く、これは「トンデモ本」の一つではないかとさえ思ってしまったのである。官僚が階級を形成するわけはないではないか、かれらは資本家の道具でしかないだろうというのが私が感じたことである。

しかし、それが私のほうの誤りで、佐藤優はなかなか鋭い感覚の持ち主だったのだと不破哲三「マルクス、エンゲルス革命論研究」雑誌「」2008年10月号を読んでいて気付いた。

こういう書き方をすると、私が日本共産党中央に対する事大主義に捕われていると思われるかもしれない。率直に言って、そういうところはあるだろうと思うが、おそらく、私だけではない多くの人が、身に染み付いたスターリン=ソ連的な事大主義をゆっくり克服する過程にあるのである。

不破さんによると「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」でマルクスはボナパルト帝政を、表面的には執行権力、すなわち国家の寄生体としての膨大な官僚機構の勝利だという考え方を示している。

ボナパルト帝政では、官僚は、絶対王政やブルジョワ共和政における「支配階級の道具」であることから解放されて、国家という形での自立を遂げたというわけである。結局はボナパルト帝政もブルジョワ支配の一形態に違いはないのだけれど、官僚が国家を独り占めして、資本家・労働者・地主からの相対的自立、すなわち独立した階級勢力化するということが実現したということになる。この部分を読んで、私は随分驚いてしまったのである。

これは、私がちゃんと「ブリュメール18日」を読んでいれば、ここで初めて知ったというような報告をしないですんだのだろうが、実際はそうだった。

とすると佐藤優のいう4大階級論も正しいことになる。

読み直せば佐藤はP201で、「ファシズムとボナパルティズムー官僚の論理の本質」という項を起こし、小泉政治はボナパルティズムであり、それはファシズムにもなれなかった中途半端なもの、ただ目の前の選挙にさえ勝てればよいというものだったと結論している。もちろん「ブリュメール18日」にはちゃんと触れられている。

もう少し丁寧に読み直さないといけないのだが、結論として佐藤は今の日本は官僚が国家機構を乗っ取って肥大し、社会から収奪しているボナパルティズムの国だ、国家すなわち官僚こそが国民の敵だといっているように思える。

一方、不破さんは、戦後まもなく科学的社会主義の研究者の間で、戦前の天皇制が、絶対主義君主制だったのかあるいはボナパルティズムだったのかという論争が起こった(私はそんなことはまったく知らなかったが)ことについて、議論自体が型紙を当てはめるスタイルでマルクス的でなかったといっている。

私も、ここで簡単に佐藤優が間違っているとかどうとか言わないことにしよう。

ともあれもう少し読んでみる価値のある筆者であることは確実のようである。

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